第2章 その日のこと
昼近くなって、やっと1通のFAXが本社から流れてきた。いかにも混乱している 様子の1通であった。 「拓銀本体と交渉中であり、追って指示あるまでは本社管轄のことなので、詳細は 不明。」 顧客からの問い合わせなどにも詳細不明で返答するように」との内容であった。当事 者能力のなくなった拓銀と何を打ち合わせるのかまさに子会社の哀悲である。他に相 談するところがないのであろう。また、肝心の拓銀も相当混乱の様子だった。拓銀函 館支店の前には報道機関が陣取っていてうかつに出ても歩けない。結局1日会社の中 にいることになった。 函館という町は、北海道の表玄関といわれるだけあって、北海道開拓以来の歴史を 持つ町で、北海道拓殖銀行は政府が拓殖債を発行した時の銀行であるから町とのつな がりも古く他の町に比べて拓銀をメインバンクにしている企業が多く、また、その企 業が町の中核をなしていることが多い。当然子会社としては銀行の尻馬に乗った商売 が多く他の支店よりは独自の顧客の少ない支店であった。つまるところ、親亀のこけ たとき一番こける被害の大きい支店なのである。その支店が1本の電話もかかってこ ない。顧客はすべて拓銀に直接問い合わせを入れているのだろう。本当はこんな函館 支店は会社として不要なのかも知れない。 ともあれ、札幌を始め旭川・帯広・苫小牧・釧路などに電話を入れてみたがまった くどこも同じような状況であるが、旭川と帯広・苫小牧は支店独自の顧客から問い合 わせの入っていた程度だ。 結果本当にその日は何もできなかった。また何もしようがなかった。しかし我々従 業員にとってまた、取引先企業にとって、日本という国にとって都市銀行が破綻した という大きな転機となった1日には違いなかった。