TOP   小さな発想で  蕎麦酔夢「吉田村」  写真で語る ブログ   リンク集

No.93  2007.1
    
64 ◎ 昔の建築を保護 ・・・・ 飽きのこない商店街 「2007・1・31」

  上海一の賑わいをみせる商店街 「豫園」。マーケットは100年の歴史を重ね、庶民の生活を支えてきたという。商品を歩道狭しと並べ、これも活気を呼ぶ一因になっているように思う。昔ながらの伝統建築様式の店も並ぶ、散策だけても時間を忘れる楽しみがある。夜になると、建物はイルミネーションで飾られ、昼間の顔と違う輝かきのある街となる。昔のイメージを大切にした商店街は、何回も足を運びたくなる気持ちにさせる。

63 ◎ 弁当・1個 ・・・・ 1万500円 「2007・1・31」

  函館と札幌間を走るスーパー北斗に乗車した時、長万部駅で発売される「かにめし」がうまい。値段も1000円と手頃。函館本線には全国区の駅弁があります。森町(もりまち)の「いかめし」、二匹入って470円也。これは絶品で、羽田空港でも販売されています。紀勢本線の松阪駅で販売している「モー太郎弁当」は、超人気弁当だという。その駅で売られる老舗駅弁店が作る「極上松阪牛ヒレ肉弁当」は、1個 10,500円也。10日前の予約制。少ししか取れない最上級のヒレ肉を使うため高額だというが、言葉がでません。

62 ◎ 上海の高齢者 ・・・・ 井戸端会議 「2007・1・30」

  中国では、高齢者の姿を見かけることが少ないことをガイドさんに聞くと、「高齢になれば、家の中で過ごす人が多い」、という答え。上海市の公園内散策道路で、高齢者が集まり井戸端会議をしている光景を、あちこちで見かけた。また、車椅子生活者を多く見かけるということは、上海市の高齢者福祉サービス充実の高さを伺い知る思いです。広い国土の中国、地域・地域の事情それに格差、生活習慣の違いも生活に現れるのでしょう。また中国は、少数民族も多くいる。これらに対する配慮も必要なのでしょう。広い国土での高齢対策は難しい課題に写る。
狭い日本の社会保障制度でさえ、先行き不透明を考えると ・・・・ 。

61 ◎ 保証人 ・・・・ 連帯保証人 「2007・1・30」

  以前、保証人になっての悲劇の話をずいぶん耳にしたが、この頃は余り聞かない。単なる「保証人」は、債務者が借金を支払えない時に請求を受ける。一方「連帯保証人」は、債務者にも保証人にも始めから請求できる。債務者に余力がありながら、連帯保証人が支払いを余儀なくされたケースは、お気の毒です。「災害は忘れた頃にやってくる」という諺があります。「保証人」を引き受ける時は、注意の上にも注意ですよ。

60 ◎ うまそう ・・・・ 屋台朝食 「2007・1・29」

  上海市内の路上屋台。丸いコンロの上の鉄板にタマゴを1個落とす。それを木のベラでサッと延ばす。丸く、大きく。その上に揚げ物と調味料をのせ、太巻き寿司のように巻く。これで一丁出来上がり。この間1〜2分。タマゴと揚げ物が好物の私にはピッタリの食べ物だが、他国の病原菌に対する抵抗力を思うと ・・・ 度胸がなく断念。残念・残念・残念。
  


59 ◎ 豪邸 ・・・・ 性格を変える 「2007・1・29」

  家を新築したら3年間気をつけろ、と言われる。事実、新築してすぐ急逝ということもよく耳にします。しかし、これは運命だからなあ。作家の池波正太郎さんは、「家というものは人間の性格を変える」「一戸建ての家を建てるときは注意が必要」と忠告する。大邸宅に住むとなれば、ふさわしい暮らしをしなければならない。車も高級車、食べ物も庶民感覚を薄れさせるもの、家具も豪華なものとなって生活をどんどん変えるというもの。「庶民感覚を肌身離さず」持つことの教訓ですね。

58 ◎ 交差点 ・・・・ 信号無視が常識? 「2007・1・28」
  
  上海市内の交差点の朝、勤め人・学生などが先を急ぐ光景に出合う。自転車の二人乗りは当たり前。交差点に立って眺めていれば、交通信号が機能を果たしていないことがわかる。自転車も、バイクも、人も、全員が信号無視に見える。これで事故が少ないというから驚く。事故は、自己責任の行動が安全性を高めているのでしょう。ガイドさんの話によれば、新聞は交通事故についてはほとんど載せないという。多すぎるのでしょうか。

57 ◎ カラスに感謝 ・・・・ 清掃作業 「2007・1・28」

  交通事故死トップの動物は、「猫」でしょう。車が来ても、向こう側に渡ろうとする。気の毒だが、日本語のわからない猫だから注意のしようがない。猫が車にひかれて死んだ時、「助かる」と思うことがあります。雑食性のカラスが、死骸を全部食べてくれることです。人間はカラスを悪の中枢扱いしていますが、街の清掃員としての一面も持っています。

56 ◎ バス待合所 ・・・・ 田舎の必要施設 「2007・1・27」

  田舎の停留所の光景を見て、都会の人は何を思うだろう。北斗市・清水川停留所は、函館市からバスで約40分。都会だったら、次々に乗り合いバスがやってくる。しかし、ここは1時間に1本。風の強い日や雪の日の待合はつらい。風や雪・雨を防ぐ停留所はありがたい存在。都会で「バス停留所・待合所」は、不必要な存在かも知れない。しかし、田舎ともなれば、生活に欠かせないものとなる。建設は行政、管理は地域で頑張っている。高齢時代を迎え、こういうたぐいのものは増えて行く。田舎は税金収入は少ないが、行政経費は反比例して多くなるのが実態です。

55 ◎ 値引き王国 ・・・・ 日本も参加国? 「2007・1・27」

  タイ国や中国に行くと、ガイドさんが懇切丁寧に教えてくれることがある。それは、言い値で買わないこと。外国人には、まずは高い値を言うが、交渉次第では下げる慣習だというもの。事実、半値ということも経験した。日本でもあるなあ。東京・上野のアメ横、オマケ・オマケ、付録のオンパレード。「安い、買わねば損」という雰囲気にさせられる。以前は、車のバッテリーが半額やタイヤの3割引きが当然という時代もあった。外国だけでなく、日本も値引き王?、それとも ・・・・。

54 ◎ 人が見てても「へっちゃら」だい ・・・・ 元気第一 「2007・1・26」

 上海市内の大きな交差点の空きスペース。朝早くから高齢者が集まり、太極拳の音楽をガンガン鳴らし、健康体操をしています。気の合う仲間が毎朝集うのでしょう。大きな交差点で人通りも多いが、苦にする様子は伺えない。「自分の健康は自分で守る」、という精神は見習わなくちゃならないなあ。



53 ◎ 給食費滞納 ・・・・ 父母会に期待 「2007・1・26」

  給食滞納額・全国で22億円という活字が新聞に載った。旧大野町、以前滞納は少なかった。理由は、区域と当番を決め、父母が集金していたことにあります。集金されたお金は学校に届けられ、そこから給食センターに納入される仕組みだった。この集金方法に異議もあった。父母からは、「知り合いが集金に来た時、都合が悪く支払いできないことがある。こういうときは ・・・・」。先生からは、「給食費の集金は教師の職務ではない」、などです。その時代、給食費は払うのが当たり前という父母の認識だったように思う。しかし、集金上の異議もあり、徐々に口座振替制度に移行となりました。結果、滞納増加。給食費は、材料費のみの負担です。当然給食の献立内容は、材料費の収入範囲で作ることが基本になります。ということは、未納者の児童生徒の食費は、給食費を支払いしている父母が負担していることになりますし、献立内容の質が落ちることも心配されます。質が落ちると、未納分は税金で負担という声も出るでしょう。職員の超過勤務を払っての集金は、高額につきます。そうなれば、集金する人を雇うことになります。税金のムダ使いの原因を、未納者が加担していることにもなります。法律で処罰はないので、行政職員での解決策となれば妙案なしという現状だと思います。私の経験からは、父母会の奮闘に期待をしたいなあ。

52 ◎ 物干し場 ・・・・ 歩道 「2007・1・25」

  上海の繁華街・豫園。歩道を歩いてビックリ。目の前に洗濯物が ・・・ 。昼間干すためのロープもそままま張られていた。夜間に自転車で通ると「首をつる」高さです。通行人は車道を通るが、誰一人不満そうには見えないから不思議だ。慣れ親しんでいることなんですね。でも、パンツや ・・・・を干さない配りょはしてほしいなあ。




51 ◎ やんちゃ ・・・・ たんこぶ成長 「2007・1・25」

  小学生の頃はよく「たんこぶ」を額につくった。遊びに夢中になり「ガツン」。この頃、「たんこぶ」の話しはあまり聞かないなあ。慎重に育てている成果なのかも知れない。ぶつけたとき毛細血管が破れ、出血が内部にたまり、それがこぶになる。頭や額は他の部分より血管が多いから「たんこぶ」ができやすいという。たんこぶをつくりながら子供は成長する。やんちゃに遊ばせ、たんこぶをつくり、立派な成長をするのもいいことだなあ。そうそう、砂糖を水に溶かしガーゼに浸し、たんこぶに貼ると腫れが引けるんだそうですよ。

50 ◎ 先見 ・・・・ 中国の社会整備 「2007・1・25」

  中国の都市幹線道路は立派です。未来に焦点をあてて造っている印象を受けます。蘇州市内もそうだった。広い歩道があり、続いて自転車・バイク、それに通勤・通学バス専用道路、その次に自動車専用道路。しかも、直線が多い。そして、道路の反対側に渡るのが大変に思うほどの広さです。これも、土地が国有だからなせることなんでしょう。


49 ◎ 5円 ・・・・ 割り箸有料 「2007・1・25」

  春先に「割り箸の危機」を載せました。中国の割り箸原木しらかばの木が、森林保護でなどで不足となったのがことの始まり。日本のコンビニの大手が、弁当に無料でつけている箸を中国産以外は止め、希望者に国産ヒノキ製を有料で販売するという一部有料化に踏み切った。一膳5円、地球温暖化防止も合わせてPR。割り箸の有料化、思ったより早く到来しそうですね。割り箸の質のいいものは、わが家では数年使っているものもある。捨てる使い方は「もったいない」ですよね。 

48 ◎ 高層アパート時代 ・・・・ 不都合も 「2007・1・24」

  上海は高層建築が建ち並ぶ。高層ビルは、日本人のイメージとしては大会社が入居と思う。ところが上海の高層ビルをよ〜く見ると、洗濯物が干してあります。中国の都市は、北京オリンピック、上海万博、 アジア大会というビックイベントがめじろ押し。そういう中、都市計画整備は急ピッチで行われている。高層アパート、上の階にいくほど安いという。また7階まではテクシー。平屋で暮していた高齢者は、お金の工面をつけて下の階に移り住むという。子供を持つ親は、外遊びの監視の目が行き届かず困るらしい。いい住宅に入っても、すべて良しとはいかないんですね。

47 ◎ キャッチセールス ・・・・ 苦手とカモ 「2007・1・24」

  聞きなれない職業もあるもんですね。多田文明さんはキャッチセールス評論家です。自身が潜入取材してキャッチセールスの手口を会得したという。キャッチセールスに引っかかりにくいタイプは、「見るからにコワイ人」「言ったことに揚げ足を取る人」、それに「質問をたくさんする人」も、ムダな手間ヒマがかかるということで敬遠されるという。カモになるのは、「おとなしい」「相手の話をよく聞いてくれる」、というようなやさしい人が。あなたは大丈夫でしょうか。自分だけはと思わず、くれぐれもご注意を。

46 ◎ 絵になる光景 ・・・・ 輪タク 「2007・1・23」

  紹興市は人口60万人の街だが、タクシーは輪タクが多い。古びた三輪自転車は、風情がある。街が平地だから営業できるのでしょう。上海は車の洪水の街、ということなのか輪タクは禁止。北京は、認められた観光保存区では走っている。今年の夏(2006年)、北京駅近くで見かけたが、北京オリンピックまでには姿を消すのでしょう。タイのバンコクも車の渋滞緩和から禁止。中国の経済成長の勢いがこのままであれば、都市での輪タクは終わりの時代を迎えるのでしょう。でも、輪タクが行き交う光景は、のどかさを感じさせる。

45 ◎ 大喜び ・・・・ お客変換 「2007・1・23」

  おばあちゃんと同居する知人を訪ねると、かならず玄関先におばあちゃんが知人といっしょに顔を出す。「誰が来たのだろう」、ということを自分で確かめたいのでしょう。きまって知人は、「おばあちゃんに用事はないの」と引っ込める。私の父は、お客が来ると「自分の客」に取り上げてしまった。ひととおり「昔話」を教え、相手の話しを聞かず一方的に教えまくる論法。聞くお客にとっては苦痛なのでしょうが、たいがいはニコヤカニ応対してくれるので、ますます・・・・。相手に迷惑をかける「お客変換」、ハラハラドキドキしたことは忘れられない。しかし人ごとではない、いつかは自分もそうなるのでしょうね。

44 ◎ 臭いが名物 ・・・・ 揚げ豆腐 「2007・1・22」

  思想家・魯迅や周恩来・首相の故郷である紹興は人口430万人、うち紹興市は60万人。日本だったら大都市だが、人口約13億人の中国では、中都市という位置づけだそう。その紹興・観光地の屋台で、名物の「臭豆腐」が売られていた。豆腐に秘伝のタレをつけ、それを油で揚げ。辛い赤味噌、甘い黒味噌、好みの味噌をつけていただく。タレの臭いが強く、揚げたときに臭みを漂わす。臭いに敏感な「性能のよい鼻」の持ち主には、苦痛の料理かもしれない。

43◎ 歴史が証明する出世 ・・・・ 女運 「2007・1・22」

  「強い女房」という言葉を聞くと、アメリカ合衆国42代大統領ビル・クリントンご夫人・ヒラリー・クリントンが頭に浮かぶ。ヒラリーさんは、夫を大統領にのし上げたばかりでなく、自らも2008年大統領選に出馬を取りざたされています。日本では山内一豊の妻・千代が、司馬遼太郎の歴史小説「功名が辻」で有名です。その中の一節。「ご運でこざいます」「いや、女運ということがある。連れそう女房の持って生まれた運の光で男の一生は左右されるのだという。そういえば、おれのような者は当代まれな運を持っている」。うだつのあがらない男の言葉、みなさんの共感はいかに。

42 ◎ 素焼きの瓶と水が命 ・・・・ 常温で飲むのが一番 「2007・1・21」

  東京の中華料理店での宴会は、紹興酒がでます。ウイスキーに似た色で温めて飲むお酒。氷砂糖を入れて飲むと、体が暖まる優れもの。この酒を造っている中国・紹興市の手づくり醸造元を見学した。モチ米と麦麹が原料で添加物ゼロ。アミノ酸の量が多いため「二日酔いなし」???だというが。瓶に入れて長く熟成させると美味しくなるという。最低でも3年以上ということですよ。中国では紹興以外で造られるものを「紹興酒」と呼ばせない。他の地域で造られるものは「老酒(らおちゅう)」だそう。中国も、特産品を造る地域を守るための苦労がありそうです。素焼きの瓶には23キロの酒が入るが、毎年少しづづ減り、10年経つと1割チョットが減少するという。もったいないなあ。


41 ◎ 生活回帰 ・・・・ 昔に学ぶ 「2007・1・21」

  最近は自宅出産が増えているようですね。昔は、産婆さんによる自宅出産が当然だった。昔の生活文化に戻る傾向はうれしいですね。昔は、嫁の実家に戻り出産というのをよく聞いた。2〜3ケ月里帰りして生家のなつかしさにも浸るというこの慣習、とてもいいことだと思う。江戸時代の庶民は、「初産は嫁の実家」、「二人目からは嫁ぎ先で」というのが一般的だったという。よいことは昔に学ぶという「生活の回帰」、不得手と思わず増えてほしい。

40 ◎ ブロック造 ・・・・ 歴史の汗 「2007・1・20」

  引揚者が苦労の汗を流した開墾地、旧大野には「文月」「向野」「中山」の3ケ所が在る。入植した戸数は95戸。裸一貫で入植し、食糧生産の国策に協力した開拓者が次々離農した跡を見るたび、複雑な思いがめぐります。思い出させる一番手が、住居です。当時はブロック造だった。練りセメントで接着させれば素人でも簡単に積める。農閑期にコツコツとにわか大工をしながら作り上げた、と思われる家も多い。中山開拓の友人の家の内壁は、ブロツクがむき出しだった。今のように、内壁や断熱材はなかった。そのかわり、薪ストーブはガンガン燃え暖かかった。このなごり、今は「物置」「廃屋」という形で点在しているが、いずれ姿を消すのでしょう。子供たちに伝え続けたいブロック造の家、大事にしてほしい。

39 ◎ もう時間がない ・・・・ まだ3分ある 「2007・1・20」

  「話し方のマナーとコツ」という本に、気持ちがプラスになる言い換えというのが載っていた。「どれでもいい」は「どれもいいね」。「これはおいしいね」は「これもおいしいね」。メニューを見ながらの「高いね」は「この値段だから、きっとおいしいよね」。お料理がなかなか来ないとき「遅いね」は「早く来るといいな」。こんな調子に言い換えれば、相手もプラス指向にさせられるという。コツは分かった。あるコマーシャルに「コツコツが、人生のコツでした」というのがあります。無理せず、自分のペースでプラスを目指したいですね。

38 ◎ 昔の道具 ・・・・ 似合う 「2007・1・19」

  紹興市の歴史遺産見学で、施設の敷地内整備工事現場に遭遇。人力でコツコツと行われていた。道具は最新式のものは使わず、鍬もカゴも昔からのもの。 土砂は、天秤にモッコを下げて運ぶという、非能率的作業。でも、歴史遺産施設には、こういう作業姿が似合うなあ。タイ国バンコクに在る寺院の壁修理も、ハンマーとノミを使い、コツコツとゆっくり作業をしていた。南茅部の遺跡発掘も手作業。こういう「ゆったり作業」も、今時世必要なのかも知れない。

37 ◎ 特効薬 ・・・・ ウイスキーが一番だった 「2007・1・19」

  冬になると「歯痛」が多くなりますね。冷たい空気が虫歯を刺激するのでしょうか。小さい頃は、冷たい空気をスウスウ吸い込むと痛みが和らいだ。歯科医院が少なく、よっぽどでなければ医院に行かなかった。虫歯だって、糸で縛り引っ張って抜いた。当時、特効薬と思っていたのがウイスキー。薄めたもので「うがい」をすると止まる?と教えられた。痛みがひどい時は、マッチ棒に脱脂綿を巻き、それにウイスキーを浸し患部につけた。余り効かなかったなあ。今思えば、神経をマヒさせる意図で考えついたのでしょう。東京・文京区には江戸時代から歯痛止めの白田神社があるというが、効き目はどうなのでしょうか?。

36 ◎ 築きあげた信頼・約100年 ・・・・ 自らペコちゃんを倒す 「2007・1・18」

   以前、生ものを製造販売する会社の社長さんが、食品衛生管理の厳しさを教えてくれた。「大手スーパーは、製造日に製品を作っているかどうかを、朝の4時・5時に抜き打ちでやってくるので、手は抜けない。間違いを起こせば、納品は即ストップ。永久にだよ」。こういうことが頭にあり、食品の安全管理は末端まで行き届いてすごい、と思っていた。不二家のニュースは、こういう一生懸命がんばっている中小企業をガッカリさせる行為だ。


35 ◎ 高齢化の波 ・・・・ 消防団存続危機 「2007・1・18」

  読売新聞に消防団の高齢化問題が載った。田舎にとって消防団の存在は大きい。過去の歴史を見ると、災害時の昼夜を問わぬ活躍は、住民に安心感を与えてきた。また、団員による災害予防活動も、未然防止で果たしてきた役割は大きい。40才以上の団員高齢化トップは、奈良県の44.3才。これに続くのが北海道の43.9才だという。介護ヘルパーや応急手当要因など、女性に協力をお願いする自治体もでてきたという。知恵をださなければ存続危機、感じます。

34 ◎ ゴミのポイ捨て ・・・・ 認識の相違 「2007・1・17」

  中国のゴミに対する考え方、日本の道徳とは大分違うなあ。宿泊した蘇州市内ホテル前、早朝の捨てられたゴミの光景。ここだけならいたずらと納得するが、この先にもゴミの山があるんです。幸い、カラスの出没しない国のようだから、これ以上の拡散はないが、それにしても ・・・。散らかっているゴミは、国の雇った清掃員が毎日かたずけるが、費用は国の予算から出される。





33 ◎ 少数民族をいじめるな ・・・・ 適法な森林伐採 「2007・1・17」

   ロシア・東シベリアの寒村トクマ村には、人口100人チョットの少数民族が住んでいるという。平和な村に突然洪水が襲ってきたのは2001年、その時から春の雪解け期になると毎年被害を受けるという。原因は、ネパ川上流の森林伐採。違法伐採も指摘されている。残念なのは、日本の企業も一枚加わっているということ。世界の4分の1を占めるロシアの森林は、世界の木材供給基地。早くルールができ、少数民族の生活安全と地球温暖化に悪影響を与えないようになってほしい。

32 ◎ 昭和の風情 ・・・・ 杭州市 「2007・1・16」

  杭州市は、13世紀に世界一周をうちたてたマルコポーロが訪れた時、「世界で最も美しい都市」と絶賛されたというだけあって、「裕福できれいな都市」に写る。上海市から車で1時間ほどだが、街の光景はガラリと変る。上海は車の洪水で大渋滞。ところが杭州は、足踏み式三輪車、自転車、自転車リヤカーがとても多く、「田舎都会」を感じさせる。蘇州もそうだが、世界遺産を守るための高層建築制限など、未来の環境を考えた都市計画をしているように見える。タクシーは、自転車三輪車の「輪タク」が多く、美しい都市づくりをしていることが伝わってきます。中国は環境政策に力を注いでいるようですね。

31 ◎ 函館なまり ・・・・ 消滅の危機 「2007・1・16」

  標準語がゆきわたり、私のような「函館なまり」のある人は、消滅の危機?を感じます。小さい頃は、今考えると「いじめ言葉」だったのでしょう、「いいふりこきのシラミたがれ」というのは、強烈に頭に残っている。また、理解できない相手を、「ほんずねえなぁ」「ほんず内閣総理大臣」と、バカすることに使われることもあった。でも方言は、言葉に温か味があって、いじめにつながらない効果があったなあ。

30 ◎ 白旗 ・・・・ 降参 「2007・1・15」

  ウーチンを漢字で書けば、「烏鎮」となる。昼食は「烏鎮の郷土料理」だった。私は鶏肉が苦手、烏鎮の地名からして鳥料理の予感がした。案の定予感はピッタシ・カンカン。一番最初の皿に盛られて出てきたのは、鳥の足首を切断切断したものを油で揚げたものだった。そして、後に出された料理の箸も止まることになった。出された料理には、鳥の頭がそのままというものも。食の慣習の違いに「降参」の白旗でした。




29 ◎ ビックリ商品 ・・・・ 背くらべの柱 「2007・1・15」

   ショツピングセンターでは「何でも売ってる時代」、とは言うものの驚いた。「背くらべ」専用柱が販売されていたんです。我が家の背くらべ柱は、縁側の戸袋柱だった。手のシミで汚れた柱には、ナイフで付けた刻みキズがあった。大正12年に作られた中山晋平さん作曲の「背くらべ」は、今でも口づさむことができる。「柱のきずは おととしの 5月5日の背くらべ 粽(ちまき)たべたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ ・・・ 」。押入れの柱にでも、お子さんの背くらべの跡、記録させたいですね。

28 ◎ 設備 ・・・・ 見かけ倒し 「2007・1・14」

  宿泊したホテル、外見は立派です。部屋は広々、洗面所・トイレも広く快適です。しかし、ホテルでも気に掛かることがある。部屋などの立派さに比べ、設備の不具合の多いことです。バスタブの排水口が閉まらない。シャワーが不具合などなど。ガイドさんも心得たもので、「部屋に入ったら確認してください。すぐ直させます。みなさんの確認が終わるまで、フロントロビーで待っています」、ということは、不具合なことが日常茶飯事ということなのでしょう。翌朝、あちこちの部屋からブーイング。私もそんなことはないだろうと確認をしなかった組み。結果、不具合があり不自由な思いをするハメに。窓のサッシも、日本なら密封が当然。ところが、すきま風がスースー。日本のホテルなら考えられな〜い。

27 ◎ やがては来る ・・・・ 冷厳な事実 「2007・1・14」

  本町の光明寺が発行する新聞・正月号に、住職の巻頭言が載った。「私たち人間はかならず死ぬものであって、いくらもがいても死を回避することはできませんし、過ぎた一日を呼び戻すことはできないのです」。同期の富田豊美・住職が教える冷厳な事実。年明け早々、同期の一人が冷厳な事実となった。元永平寺の小倉玄照・老師の詩、「わかっているかい 死ぬんだよ そう お前さんも このわたくしも」。当たり前のことなのかも知れないが、同期の死を思うと複雑な気持ちになる。

26 ◎ 光景異変 ・・・・ 棒タラ 「2007・8・13」

  噴火湾の漁師町は、道路沿いに家並みが続く。通称・ふんどし街の光景が、例年と違い寂しい。いつもの年なら賑やかな助宗鱈(すけそうだら)の干場、閑散としている。食べなくなったのだろうか、それとも獲れなくなったのだろうか。卵巣からつくるタラコ、すり身にしたカマボコ、どちらも好物。浜風で干した棒タラは、金づちで叩いてやわらかくして食べると美味しい。以前はいくらでも獲れる魚だったが、貴重で値が高くなる心配があるなあ。

25 ◎ ビックリ商品 ・・・・ 背くらべの柱 「2007・1・13」

   ショツピングセンターでは「何でも売ってる時代」、とは言うものの驚いた。「背くらべ」専用柱が販売されていたんです。我が家の背くらべ柱は、縁側の戸袋柱だった。手のシミで汚れた柱には、ナイフで付けた刻みキズがあった。大正12年に作られた中山晋平さん作曲の「背くらべ」は、今でも口づさむことができる。「柱のきずは おととしの 5月5日の背くらべ 粽(ちまき)たべたべ 兄さんが 計ってくれた 背のたけ ・・・ 」。押入れの柱にでも、お子さんの背くらべの跡、記録させたいですね。


22 ◎ ゴミにも負けず ・・・・ 屋台繁昌 「2007・1・11」

  中国・蘇州市、宿泊した大きなホテルから徒歩5分。ゴミの中という感じの所に「屋台」数軒開店、これが繁昌している。ゴミといっても半端じゃない。街の中によくもこんなに捨てるもんだ、と日本人の私は気になる。国あるいは地域によっては、「ゴミは汚いもの。だから拾ってはいけません」という習慣のところもあるというが、日本の道徳教育からすれば、考えられない状況と事実を目にする。慣習の違い、差を感じる。


24 ◎ 竹バサミ ・・・・ ラクチン清掃用具 「2007・1・12」

  蘇州市の幹線道路は、行政が雇った清掃員が、早朝からゴミのかたづけ作業をしています。受け持ち区間が長い距離だと「自転車」、短いと「リヤカー」が作業補助車のようです。私が目にした女性作業員は、竹で作った火バサミを長くした道具でゴミを拾っていた。このハサミを使えば、腰を曲げる必要はなく、ラクチン・ラクチンです。使いづらいく見えますが、ヒョイ・ヒョイとうまく拾い上げます。頭は使いよう、ということですね。


23 ◎ ギャフン ・・・・ 振り込め詐欺師 「2007・1・12」

  今までより不便になることもあるんですね。今までOKだった10万円を超える現金送金が、ATM(現金児童出入機)では「NO」、と1月4日からなった。窓口も、身分証明書が必要。カードを使用する場合は、2003年1月以降のものであること。理由は、テロ対策などの国際機関との協調による右習え。振り込め詐欺防止にも役立ちそうですが、サービス後退はいなめない。送金する時はお気をつけ下さい。

21 ◎ オレの出番はきっと来る ・・・・ 貸本屋 「2007・1・11」

   小中学時代の昭和、貸本屋さんが大野にも数軒あった。その頃の統計を見ると、全国に1万5千を超えた数とある。新刊のマンガ本を、安い値段で借りて読む楽しさは人気があった。貸本には茶色の紙カバーがかけられ、肝心の表紙は目隠しだった。何人もの回し読みによる傷みを最小限にする、当時の知恵だったのでしょう。「誰が手にしたかわからない。手洗いを十分にしなさい」が親の注意だった。伝染病が心配される時代を反映していた。東京の本屋さんで単行本を買うと、店員がかならず聞き返す言葉がある。「カバーおかけしますか」。これを耳にするたび、「貸本屋」が頭に ・・・ 。今は読んだらすぐ捨てる時代だが、いずれ資源不足の時代がくる。貸本屋さんが復活、夢物語ではないと思うなあ。

20 ◎ 事故 ・・・・ 原則・自己注意? 「2007・1・10」

  外国へ行くと、慣習や法律の違いにとまどう。中国は蘇州市の管工事現場。宿泊したホテルの前の大型ロータリーの交差点は、街の中だけあって車や人の往来が多い。早朝、その交差点の管工事現場を見て驚いた。工事のために掘削した状態でほったらかし。掘削したコンクリートは、歩道をふさいでいる。こういう現場はあちこちで見かけた。日本の習慣からすれば、考えられないこと。でも、蘇州の通行人からは、気にする様子は見受けられない。事故は自己注意が原則、ということなのでしょう。

19 ◎ 教師像 ・・・・ 豊かさが変化させた? 「2007・1・10」

  昔は、学校の担任教師のことで心配した時代があったなあ。学年始めになると、「わが子の担任は誰になるのだろう」という不安です。当時の田舎の先生は、学校の周りに用意された教員住宅に入居し、休日なしで子供と接触してくれた。このため普段の生活が父母や地域の目に入り、教師の実力に生活態度も加味された評価がされていたように思う。それをみて、いやだと思う教師が担任になっても、決まれば文句を言わなかったなあ。いざとなったら教師を信頼する姿勢、これが父母の底流にあったように感じた。その時代の学校と父母との関係、「良かったなあ」とこの頃は思う。

18 ◎ 日々是好日 ・・・・ どんな日もいい日 「2007・1・9」

  「ほっとする禅語70」の著者・渡會正純(わたらいしょうじゅん)さんは、石川県・門前町に在る総持寺・祖院の副寺。北海道出身で、本町・光明寺住職・富田豊美さんの友人でもある。この寺を昨年訪ねたが、歴史があり貫禄ある寺院だった。この本の中に「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」というのがある。ムカつく日も悲しい日も、雨の日も風の日も、その時のその感情や状態を大いに味わって過ごせば、かけがえのない日になる、と説いている。簡単そうに聞こえるが、難しいことですね。

17 ◎ 騒音・ほこり ・・・・ 環境と工事の優先順位 「2007・1・9」

  中国・北京駅に近いホテルに宿泊した時、夜中の騒音に驚いた。ホテルに隣接する場所にビルを建てる工事の音でした。昼間ならわかるが、午前様を回った時間ですよ。ガイドさんの説明では、何事も公共のための事業優先主義、みんなのためになることだから、「ガマン」が当たり前という意味に聞こえました。そう言えば、日本の戦後復興事業も「騒音とほこり」はガマン、という時代があったように記されている。発展途上の政策は、まずは生活向上改善が優先、生活環境はあとまわしということなのでしょう。

16 ◎ 自費出版 ・・・・ 地域の宝 「2007・1・8」

  東京・浜松町モノレール駅のビルには、広大な面積の本屋さんがある。その一角には、「自費出版」コーナーがあります。さまざまな分野の記録などが、実践を通して書かれた著作が多く貴重。北海道でも新聞社などが応援した自費出版が盛んです。いまでこそ珍しくない自費出版だが、昭和62年に知人が出している。青柳町で青函トンネル焼を主宰していた陶芸家・金野正孝(かねのせいこう)が、石川啄木をテーマにした「一握りの砂」という陶器のお土産を作った。啄木をテーマにするからには「啄木を知ること」が大事、というわけで「函館の啄木と節子」という本を著作。自費出版にはいたらないが、さまざまな人が行っている。このことは、地域の将来にとっては財産です。

15 ◎ 消えつつ言葉 ・・・・ 新婚旅行 「2007・1・8」

  私の若い頃は、新婚さんだけ集めての「寿旅行」というのがあった。列車一両貸切っての新婚旅行。見送りホームが、老若男女でごった返したのは言うまでもない。列車の名前に「寿列車」というのもあったなあ。飛行機まるごと貸切る、新婚外国旅行というのもあった。新婚旅行は、祝賀会が終了すると同時に出発が定番だった。今時代、新婚旅行も様変わりした、というより消えつつある。小さい時から家族旅行などができるようになり、旅行そのものが贅沢でなくなったからなのでしょうね。

14 ◎ 介護の敵 ・・・・ 完全主義 「2007・1・7」

  お正月、何ひとつ心配なこともなく、楽しく過ごされた家庭がほとんどでしょう。中には、お年寄りの辛い介護で、苦労された方もいることでしょう。がんばらない介護の提案者・野原すみれさんが、「介護がラクになる魔法の言葉」の本の中で、一生懸命に介護するあなたに、「元気になって 大丈夫よ」との思いを込めた言葉を発信しています。「介護でつらい思いをしている、あなたに」「介護で悲しい思いをしている、あなたに」「介護で切ない思いをしている、あなたに」。がんばる介護は不幸のもと、読んでみましょうか。

13 ◎ 高齢社会対応の知恵 ・・・・ 送迎=親切? 「2007・1・7」

  数年前、知り合いの高齢者が「助かるわ」と喜んで教えてくれた話、耳から離れない。「通院している函館市内の病院、帰りのタクシー代を負担してくれるのよ」。病院の競争時代突入を感じると同時に、医学だけではなく営業も大切な医療界になることを感じた。今は、整形外科、産婦人科、眼科 ・・・ 患者の多い病院は、送迎が当たり前になっているようにも見える。医療界に刺激されたのか、定山渓温泉の集客も温泉送迎付きプランが出現。その影響は、私の近辺にも出てきた。南茅部の市営温泉の湯治プランがタクシー送迎付き。高齢社会対応の知恵は、ますます激化するのでしょうね。喜ぶのはお客なのか、それとも ・・・・。

12 ◎ 月兎 ・・・・ 陰の力は普通人 「2007・1・6」

  わが家から徒歩3分の所に、「月兎」の店がある。開店したのが1989年10月20日。この日から4周年目の記念日に、「月兎」の本を出版した。「雨の日も晴れの日も続けることの難しさをとても強く感じています。誕生パーティーという華やかなものをやめにして、月兎の本を作りました」、と本誕生のいきさつが記されている。代々続く家業の米屋が目利きした自慢のご飯と、自家製の野菜を脇役にしたメニューが売り。私は、「食らんか弁当」が口に合う。生ノリご飯二段が気に入ってます。久しぶりで先日食べたが、以前と味は同じ。味を保つことは難しいことだと耳にしますが、おいしかった。本を読めば、素人が建物設計からメニューを作るまでの苦労が良くわかる。

11 ◎ 戻りたいが戻れない ・・・・ お帰りなさい 「2007・1・6」

  「お帰りなさい」、自民党復党組に安倍総理が放った言葉のことではない。還暦を迎え、そして定年退職した同級生に対するものです。関東地方で働き定年となれば、普通だったら馴染んだ地域に定着します。それが昨年暮れ、ふるさとに家を建て、戻ったのです。うれしいですね。ふるさとに帰れば、体調管理、交際費もかかる、など不安・不都合なこともある。「戻りたいが、戻れない」、そういう人が多いのかも知れないなあ。

10 ◎ 家族と生きる俳句 ・・・・ ひらがなの名前大きく入園す 「2007・1・5」

  趣味と言えば、イコール「遊び」と考えてきた。競馬、ゴルフ、マージャン、パチンコ など ・・・ 今はどれも封印した。ところが、退職した友人が、書き溜めた俳句を本にして出版。昭和55年から始めた趣味が、句集「湾」となって成果を出したのです。俳句の本はさまざまな方からいただき、10冊に届こうとしている。高尚な趣味を、若い時から持つべきだったことを反省の日々です。花田星河・氏が母を詠んだ句を紹介します。「ガンという二字は禁じの雪しまき」「母の忌の闇一枚に雪積めり」

9 ◎ 世相 ・・・・ 賀状 「2007・1・5」

  年賀状からも時代の変化が見える。男女平等参画時代の定着なのでしょうか、賀状差出人、以前は「主人名」が圧倒的でした。今回は、奥さん併記がほとんど、活字の大きさも同等が多い。以前は、載せたとしても奥さんの名前は主人より小さくだった。電話番号も予測どおりになってきた。超高齢者からの賀状は携帯電話番号。固定式時代の終わりを感じます。

8 ◎ 生活支援 ・・・・ 戦後の応援歌 「2007・1・4」

  京都の舞鶴港には、昭和20年10月から33年9月までに66万人の引揚者が帰還したという。シベリアからの最後の引揚船が着いたのは昭和29年春。帰国者の一人一人の顔を確かめること9年、東京在住・端野いせさんの一人息子は最終船からも降りることはなかった。このことを伝えるラジオ放送を聴いていた作詞家・藤田まさとさんが「岸壁の母」を書いた。「母は来ました 今日も来た この岸壁に今日も来た とどかぬ願いと知りながら もしやもしやに ひかされて」。こういう内容が、新井恵美子の「哀しい歌たち」に記されている。歌は生活とともに歩んでいることがよくわかります。庶民の身近な生活応援は、政治よりも歌は強し、だったのかも知れない。

7 ◎ 労働組合の変化 ・・・・ JRが証明? 「2007・1・4」

  昭和の戦後時代、労働者の声は大きかった。私が最初に就職した林野庁・函館営林局には、3つの労働組合があった。権利を主張する組合、使用者側を擁護しつつ権利を主張する組合、それに準職員で本採用と賃金向上を求める組合だった。国家公務員法では、ストは禁じられていた。採用時には法律を犯すことはいたしませんという宣誓書に署名した。さらに、保証人2人の・・・・。そんな状況で就職したので、ストを度々打つことにビックリしたもんです。今は労働組合も様変わりした。旧国鉄と現JRが、このことをわかりやすく証明しているなあ。

6 ◎ 心配・第二の貸本屋 ・・・・ 街の書店 「2007・1・3」

  12月に発売された「小泉官邸秘録」。小泉純一郎・首相の首席総理秘書官を務めた飯島勲さんが書き下ろした。今日は本の内容ではなく、便利時代の話です。新刊本を買うときは、本屋さんへ出かけて購入していた。駐車や時間の調整に苦慮してきた。しかし、今はインターネットで注文できるようになった。送料もカードを使えば「無料」、コンビニで代引き引き換え、これも「送料無料」。いつ配達しますという案内もメールでくる。注文して2〜3日で届く。新刊の発売本や発売日もインターネットで即座にわかる。古書もオークション売り場で ・・・。便利すぎて恐いくらいです。戦後の貸本屋盛衰が頭に浮かぶ。街の「本屋」さんが消える、そういう心配も現実に ・・・ 。

5 ◎ 減らない ・・・・ 正月餅 「2007・1・3」

  昔のわが家の餅は、もち米にうる米が混じっていたりして、できあがりに「ボロ餅」となることもしばしばあった。今は栽培や精米技術が発達し、ボロ餅の出番はない。師走の年末に餅を作ったが、餅が減らない。昔のわが家は、薪ストーブに網ワタシを置き、白い餅をいっぱい焼いた毎日だった。一人で3個も7個も食べた。汁粉餅、きな粉餅、豆餅、醤油餅などバラエティーに富んでいた。今日は「何餅」か、それも楽しみだった。今年は、元旦の雑煮餅も食べなかった。暖冬なので、カビがはえる「いらぬ心配」もしなければならないなあ。

4 ◎ 玉砕 ・・・・ 生きるも地獄 「2007・1・2」

  東京都小笠原村の硫黄島は、広さ22キロの小さな島。戦火を避けて疎開した住民は1,164人、薬草やサツマイモを栽培して生活していたという。平穏な島が一転して戦火の島、戦争は悲しい歴史をつくりますね。海軍大佐・和智恒蔵は、本来なら硫黄島で玉砕する運命にあったが、玉砕のわずか4ケ月前に日本本土に戻され死を逃れたという。なぜ戻されたのかは、本を読むとわかる。このしょく罪を晴らすため、僧侶となって部下の遺骨回収に励み慰霊。戦火を逃れた非難・中傷を受けての戦後45年間を生き抜いた精神力は並みではない。今、栗林・中将(玉砕後大将)が脚光を浴びているが、硫黄島はさまざな人のドラマを作っていることが読めばわかります。戦争で生き残った人は、死ななければ戦争が終わらないのかも知れない。

3 ◎ 無料絵画館 ・・・・ 山波 「2007・1・2」

  わが家は、年中・「横津岳連峰の恩恵」を受けている。太陽が毎朝顔を出す東側、横津岳連峰の山波はわが家の絵画館。生活の中で感謝もせず、しかも無料で見学の日暮。逆に七飯町の住民は横津岳を背にするので、「きじひき高原」を毎日目にしているハズ。「おあいこ」なのかも。年頭は「今年もまたよろしく」と・・・・・。四季折々のこういう「ありがたい風景」を目の当たりで見られることは、大都会では無理。自然のプレゼントに、年頭にあたり感謝です。

2 ◎ 志願兵玉砕の地 ・・・・ 忘れてはならない島 「2007・1・1」

  東京から1250キロ南にある小さな島、「硫黄島」が注目を浴びている。栗林中道・中将の「硫黄島からの手紙」が映画化され公開中。31日には安倍首相も観賞したという。ここ数ヶ月、書籍の発行も数多い。硫黄島で戦った日本兵2万1千人のうち、生きて帰還したものは1千23人。そのうちの一人、秋草鶴次さんの書いた「17歳の硫黄島」を読んだ。ペンを持つ右手は、親指と小指と短くなった薬指だけ。不自由な体で原稿を書く作業は並大抵のことではない。「いや、まだ死にたくない、生きるんだ。自分から死ぬことはない。なぜ生まれてきたんだ、二度とない人生だ、一つしかない命だ。故郷のみんなが待っている、祈っているんだ。無事の帰りを待っている。訃報を喜ぶ人なんか、本当はありっこない」。61年目の証言、一読してみましょうか。

1 ◎ 貧乏 ・・・・ 良薬 「2007・1・1」

  「昔は貧乏だったから、幸せだった」、と大先輩からよく聞く。この言葉を耳にすると、最近は「裕福だから不幸せなことが起こる」?、と考えてしまう。貧乏の根底には、助け合いの精神が宿るのかも知れない。田舎に住めば、生活を監視される部分もある。親せきが、さまざまなことに
口を挟むこともある。出すぎたことをすれば、釘を打たれる思いもある。うわさ話も恐いなあ。こういうことは「助け合いの精神の良薬」だったのかも知れない。裕福な今時代に合う「良薬」を、早く見つけなければならないなあ。

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