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◎頭に 「みんなが」 と付ければ  



  志ネットワークの代表 上甲晃さんは、平成4年4月から一日も休まず・千字のメッセージを書き続け、冊子を発行しています。

簡単なことのようですが、継続するということは相当な努力が必要です。町長通信にペンションのオーナーのお話を書きました。夫婦体調の悪い時も・長い間にはある。でも39度の熱が出ても、お客との約束は破るわけにはいかない。15年間休まず営業、これも継続。世の中にはたくさんの 「継続」頑張り屋さんがいると思います。

今回は、冊子の平成16年4月1日 4602号を紹介します。

   頭に 「みんなが」 と付ければ    志ネットワーク代表 上甲 晃 さん

  「志(こころざし)とは何か」 と質問された時、私は、「みんなの利益を大きくする心」 とか、「己の損得を超える心」 とか説明する。福井県福井市に住む、志ネットワーク会員である松木延倫さんは、実にうまく志を説明してくれる。

  福井県鯖江市の商工会議所が主催した 「若鯖塾」 に、塾生として参加してくれた松木さんは、「私は車がほしい。私は大きな家に住みたい。それは全て私利私欲であります。

しかし、その言葉の前に、「みんなが」 と付ければ、志になるのです。例えば、「私は車がほしい」の前に「みんなが」の一言を付けるのです。「みんなが車を手に入れることのできる社会を作る」となると、これはすばらしい志です。

同様に、「私はお金儲けしたい」というのは、私利私欲。「みんながお金儲けできる社会を作る」と考えたら、これはとてつもない大きな志です。というわけだ。

  それにしても、志の思いとするところを、松木さんは実にうまく表現してくれた。私利私欲を拡大していけば、やがて、それは 志 になるのだ。

自分だけ車をもちたい、大きな家にすみたい、お金儲けしたいなどと考えるのは、「小さい、小さい」 ということになる。同じことなら、「私だけでなく、みんなが」と考えられるのは、まことに大きな考え方である。志 とは、元来、「大きく高い」 のが特徴である。

そして、志 が大きくなり、高くなればなるほど、私たちの持つ潜在的なエネルギーは力強く引き出されていくのである。また、志 が高くなればなるほど、苦労が大きくなる。しかし、苦労するから感動するのである。苦労なくして感動なし。感動の多い人生を歩むためにも、志 は大きく高くなければならない。

  私はしばしば、志と野心・野望の違いを強調する。「志は、みんなの利益を大きくする心」、それに対して、野心・野望は、「自分の利益を大きくする心」。松木さんの表現を借りるならば、「自分が車を持ちたい。自分が大きな家を持ちたい。自分がお金儲けしたい」というのは、いずれも野心・野望のレベル。その前に、「みんなが」 と付けると、野心・野望が、志に転じていく。

  ここで注意したいのは、野心・野望とは二者選択、対立の考え方ではないことだ。野心・野望と志とは同じ線上にあるのだ。すなわち、最初は、野心・野望からスタートしたが、やがてそこに留まることなく、野心・野望を突き抜けて、志へと進化していくものだ。


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