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◎自らも本心でとけこむ・自然だぁ〜い好き 萩野小学校・大澤照雄校長


  大野町では、平成15年度から教育地域協働補助金制度を。目的は学校と地域の住民が一体となる交流事業に応援しようというもの。あくまでも学校の自主的な取り組みを期待するものであり、予算は百万円・希望により予算内で認めるというものです。

  紹介する萩野小学校・大澤校長は、「もち米作り」 を提案し、地域の先輩の知恵を拝借し、父母の応援を受け、子どもたちに基幹産業である農業の実践と大切さを教えることをしてくれました。

  米作りは一年に一作です。日々練習というわけにはいきません。一年を通して、土づくりなどの準備・播種・育苗から始まり収穫までの得た経験を、反省研究しながらというのが実態です。というのは、技術や基盤の改善だけでは解決できない、気温・風・日照など天候にも大きく作用されるからです。このため、米作りをする場合は、どんな天候の年でも収穫ゼロを回避するため、3種類ほどの品種を蒔き危険分散をしています。

  このように、農業者の培ってきた体で覚えた知恵が大切なものであり、この技術を代々後継させるため家業後継ぎが農家とって定番となっています。ここに大澤校長が、大野町校長会の研究紀要に投稿した随想を紹介ます。「本心をもって、何ごとにも自らも、とけこむ」 ことの大事さを教えてくれるはずです。



  「自然と一体になるということ・・・・・」  萩野小学校  大澤照雄 校長 

  
  「日照不足・冷夏」・・・・・・今年度ほど日照時間や気温が気になった年はなかったでしょう。それは、自分の無知を顧みず、一昨年から地域の方に田んぼを無心して稲作りに挑戦したからにほかなりません。正直な話、文献やインターネットでいろいろ勉強しては見たけれど、実際の稲作りはそんなやさしい物ではありませんでした。

  ましてや43キログラムの 「もち米」 を精米して、「これはもち米ではなくて、ウルチ米ではないか?」 と某農業専門家に言われたときは、目の前が真っ暗になったほどでした。(実際は、乾燥の関係からウルチ米と同じ色になったことが、後日わかりました。白いもち米にするにはプロの技があるのですね・・・・・・)

  12月の末に、精米したもち米で児童と地域の方々と一緒にもちつき大会をするまでには、無知で無鉄砲な私を支えてくださった方々のお力がどれだけ大きかったか、自分自身にはまだまだ分からないと言った方がよいくらいです。

  さて、私の知人に一年中山梨県の山の中に入り、ネズミと間違うほど小さな生き物 「ヤマネむ を追いかけている方がおります。一年の半分以上を森の中で寝て過ごす、一見ものぐさなような印象を受ける動物です。

その彼、Mi君は和歌山県熊野川の山の中にある小さな小学校教師でした。でも、彼はとうとうこの 「ヤマネ」 に魅せられ、やがてとりこになってしまい、数年前に和歌山県の教師を辞し、山梨県の清里にあるヤマネミュージアムの館長として赴任した変わり者です。(失礼!)。

  Mi君は私の顔を見たり、友達の顔を見たりすると、「山の中はいいよ。木々に囲まれて暮らすのはいいもんだ。」と、いつも自然の雄大さやすばらしさを飽きもせず語っていましたので、「とうとう趣味と仕事を逆転させたか・・・・・・」 という半ばあきれた印象を受けてました。

  しかし、やがて、それは大きな私の誤解であったことに気づかされました。小中学生や地域の方々を相手にミュージアムの館長の仕事をしながら、小学生向けの 「ヤマネ」 の本を数冊出版。しかも、その本は図書館協議会の推薦書付きでした。

さらに驚くことには、山の中の道路建設に注文を付け、その道路に 「ヤマネ」 横断道路を作らせることに成功。見事に森に住む動物や 「ヤマネ」 の保護にも成功。してやったり、MI君の笑顔が目に見えるようでした。

  徹底して 「ヤマネ」 の観察や生態の調査にこだわり、かれこれ10数年近くもこの小動物を追いかけて研究を進めた汗の結晶なのでしよう。そして、その間に京都大学で理学博士の学位を取得。極限すると、Mi君もすっかり森の住民になり、あるいは自分自身も 「ヤマネ」 になり切って、雪の冬も暑い夏も、台風の秋さえも山の中から出ずに生態調査を続けてきた成果なのではないでしょうか。

  そういう私も、一度だけ自分自身が 「山と一体となつた(?)」 ような錯覚を覚えたことがあります。もちろん、自分がそう感じたのであり、「キツネにだまされたのじゃないか」 と知人に笑われることが多いのですが・・・・・・・。

  それは、数年前に朝早くからカメラを担いで道南のある低山の麓に下手な撮影に行ったときのことです。教頭職をしながらの撮影ですから、土曜が日曜に限られるのですが、何度も通った砂利道を車で走り、道路端に車を乗り捨てて山に入って行きました。

やがて、撮影ポイントに入って、36枚撮りのベイルビアを交換して2本目の撮影に入った時です。紅葉に誘われるように10メートル程進んだとき、見事な、実に見事な 「楓」 の紅葉に出くわしたのです。木の根元から見上げると自分が朱やオレンジ色の葉っぱに包まれるような思いがしたほどでした。決してそれは、道路から見えない程の距離にある木ではなく、見逃すほど小さな木でもなかったのでが・・・・・。まさにその 「楓の木」 に誘われるようにその場所へたどり着くことができたのです。

  もちろん、撮った写真は人に見せるような代物ではありませんが、額に入ったその写真を見るたびに、その時のことを思いだします。おそらく、撮影ポイントを絞って、何度も何度も通ったことで、山の神様か麓の木々が私を誘ってくれたのでしょうか。その日、半日も周りの紅葉や枯れた草花の写真を撮り続けることができました。でも、残念なことに美しい紅葉を見ることができたのはその年だけでした。私が、紅葉だけではなく夕日などの対象物に撮影変えたせいかもしれません。

  「自然と一体となる」 というのは、自分自身が畑や野原、山などの生き物に受け入れられるということではないでしょうか。それは、決して自分が望んでも駄目なのではないでしょうか?繰り返し繰り返し、自然と対話し、自然に身をまかせることによって可能なのではないでしょうか。

  農家の方々は、長い年月、毎日毎日作物を観察し、お世話することでイネや作物と会話ができるようになっているのだと思います。

  来年度、また水田やネギ等の栽培を体験する機会を得るならば、イネやネギなどに嫌われないように暇を見つけて成長する姿を見続けたいものだと思います。

  昨年度本校が作付けしたもち米は 「工藤糯(もち)」 という種類だそうです。「どんなに寒くたって、冷夏といわれたって、8月の20日頃には花が咲く。」と、おっしゃっていたTuさんの言葉通り、20日午前中、見事に咲いた 「イネの花」 の写真を撮ることができました。いや全く、本当に恐れ入りました。

  イネと会話できるのではないかと思われる 「イネ作りの先生」 HaさんTuさんに心から感謝し、筆をおきます。



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