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◎踏まれたら・根を張る 「負ける練習」 「2003・9・15」



  相田みつを さんの 「七転八倒」 つまづいたり ころんだり するほうが 自然なんだな にんげんだもの。この中で 「負ける練習」 というのがあり、負け方や受身の ほんとうに身についた人間が 人の世の悲しみや 苦しみに耐えて 人(他人)の胸の痛みを 心の底から理解できる やさしく暖かい 人間になれるんです。

  志ネットワーク代表の 上甲 晃 さんは、この10年間・一日も休まず一千字余のメッセージを会員に贈り続けています。「一日生きたら 一つぐらいは感動がある生き方をしたい 一つぐらいは学びのある生き方をしたい」、そんな思いの毎日を記しています。

平成15年8月17日付けの 「麦踏」 は、相田みつを さんの「負ける練習」に相通じるものがあります。頭ではわかっているのだが、実践となると・・・・・・。これを読んで、私たちもがんばりましょうよ。

 
   「 麦踏 」  志ネットワーク代表  上甲 晃 さん   (元 松下政経塾 副塾長)


  久しぶりに、良い文章に出会った。「麦は、折角芽を出しても、霜がきつければ根が霜柱によって浮き上がります。だから、麦を踏みつけます。

上に伸びれない麦は、土中に根を伸ばし、力をつけて半月もすると、再び茎をしゃんと伸ばします。ところが人間はその麦をまた容赦なく踏みつけます。まだ春が充分にきていないからです。

私は、この麦踏を思い出しました。「踏まれたら、根を張ればいい」。私はとりわけ最後の一言、「踏まれたら、根を張ればいい」の一言に、強く感じるところがあった。

  この文章は、日ごろお付き合いのある燦葉出版社の白井隆之社長から送られてきた「生きているって、いいもんだ」と題する本のなかの一文である。

この本には、「下駄先生の泣き笑い人生」というサブタイトルがある。九州・熊本の九州学院の先生であった谷口恭教先生の一代記。小児麻痺の後遺症に苦しみながらも、教師として力強い生き方をした話だ。

  私は、「踏まれたら、根を張ればい」 の一言が気に入った。踏まれるとは、「逆境に立つ」 ことだ。その時に、枯れてしまうのか。踏まれた分、地下の根をしっかり張れとの教えは、まさに人生の教訓である。逆境に立ったら、しっかりと人生の根を張れとの教えだ。

  松下政経塾の人たちを見ていていちばん心配なのは、踏まれる経験のなさだ。とりわけ松下政経塾卒業生の政治家の中には、幸いにも、若くして、普通では立てないような地位役職に立つ人が大変多い。神奈川県知事、横浜市長、衆議院議員。どの一つをとっても、地位役職においては、まことにきらびやかで、ため息の出そうなぐらいに高いものである。

かつては、苦労に苦労を重ね、人生の終着点に近い時点で手に入れるような役職である。それを、30代、40代で手に入れるのは、人もうらやむ成功と言える。

  ただ、「早すぎる成功は、好ましくない」 と指摘される。それは、人から踏まれる経験をしないために、みごとな花は咲いたものの、土の中の根が貧弱であるケースが多いことを言うのだ。若くして成功を手に入れることはきらびやかではあるが、花の大きさに対して根が弱々しいケースが普通だ。

「早く成功することは、後々、あまり良い結果に終わらない」 との警告を、松下政経塾の卒業生はどのように受け止めるであろうか。失敗の連続、日の目を見ない日々、それはちょうど麦踏と同じだ。花が咲かない分、しっかりと根を張ればいいのだ。大器晩成とは、苦労に苦労を重ねて、最後に大輪の花を咲かせることを言う。麦踏も必要だ。

 
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