TOP   田舎都会通信  蕎麦酔夢「吉田村」  写真で語る   ブログ   リンク集

◎目線の位置を求める旅が始まった・勝碕捷二さん



  ヒョンなことからだ。「ひょうたんから駒」という諺があるが、これがピッタシの嬉しい出来事です。平成6年に、「そば愛好会」を立ち上げるための勉強に伺ったことが 「縁」 となりました。

「一生懸命打つ心」 「少しでもおいしいものを出したいと願う心」 これを信じて打つことの大切さを、教えていただきました。ご紹介する方は、勝碕捷二 さん、当時・共同通信社・函館支局長でした。とにもかくにも、自分に厳しい姿勢が、多くのことを学ばせてくれます。

この勝碕師匠、奥さんと意見が一致して大野町に永住を決心。東京で定年を迎え、家を建てたのが昨年の秋。最近・師の書いたコラムを読む限り、満足の決断だったことが伺え・安堵しました。



  タイトル  「目線の位置」   勝碕捷二   (2003年7月23日・札幌タイムスから転写)



  昨年暮れ、30年間勤めた会社を定年退職し、函館市に隣接する農業の町・大野町に妻と移り住んだ。

  大野町との付き合いは10年前にさかのぼる。共同通信社函館支局長だった私を訪ねて、大野そば会の人が来た。私はソバ粉だけで作り上げる生粉(きこ)打ちソバを打つ。どこかで耳にしたのだろう。そば会を作ったが、素人ばかりなので打ち方を教えてほしい、というのが、私と大野の人たちの付き合いの始まりだった。

  3年後、東京に戻ってからも、会との交流は続いた。夏に遊びに来たり、新年会に顔をだしたり、全国そば祭りに参加する大野そば会を応援するため、東京から幌加内まで駆け付けたこともあった。そんな中で彼らの 「目線の位置」 (見方)が尊大ぶらず、相手を重んじ、相手の立場になって考える、そして共に前にすすむというところにあることを知った。

  定年の3年前、定年後どこに住むかを妻と相談した。都会の人間は目線が高過ぎる。相手を無視して目線を設定するからだ。その結果、東京はあまりにも雑踏と喧騒(けんそう)に包まれ過ぎてしまった。
住む町の条件として、住民と私たち目線の位置がほぼ一致できる可能性があること・・・と考えた時、おのずと大野町に決った。

  あれから半年余りが過ぎた。今、私は大野町で琉球空手と古武道(武器術)を教える日々を送っている。ソバも時々打っている。地元の人たちは、野菜の作り方から行事参加の呼び掛けなど何かと気を遣ってくれている。私たちの 「目線の位置を求める旅」 は始まったばかりだ。
目次へ

TOP   田舎都会通信  蕎麦酔夢「吉田村」  写真で語る   ブログ   リンク集