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◎加山雄三・息子だから言える・できる「2003・5・17」



  私の両親は、3歳違いです。ともに89歳で痴呆症になり92歳で他界しました。従って我が家では、都合6年間痴呆症の父母と暮したことになります。痴呆症のなり始めは、判断がつきかねる状況でした。近くの店へ行くと、帰りは方向の違う方へ行き・知り合いの車に乗せられてきたこともありました。何人もの兵隊がそこにいる、早く帰るように言ってほしい。など、おかしいんですが、すぐ正気にもどるため、痴呆症の判別がつきにくい・というのが、本音でした。

  読売新聞の広告に、加山雄三さんの 「父の話をします」 というのが掲載されました。読まれた方も多いと思います。「なるほどな」 「そうだよな」 「わかる・わかる」 という内容がいっぱいです。一部をご紹介しますので、今後の糧にしてはいかがでしょうか。


  「父の話をします」

  15年前の、ある日のことでした。
  私は、父と一緒にレストランへ行きました。ある料理を食べた父は、これはとても美味しい、と喜んでいたので、一週間後、再び同じレストランへ行き、同じメニューを注文しました。すると父は言いました。「美味しい。こんな美味しい料理は初めて食べる」と。私は笑って言いました。「何言ってんだよ親父。つい一週間前、ここで同じものを食べたじゃないか」。しかし、父は、「いや、初めてだ」と最後まで言い張るのでした。「あれっ、おかしいぞ・・・・」と思いはじめたのはその時でした。

  私は妻と相談し、父を病院へ連れて行ってみることにしました。しかし、もちろん、それは簡単なことではありません。人一倍頑固で人一倍自尊心の強い父は、何を思い、何と言うだろうか。親として、男として、人間としての尊厳を傷つけることなく、どうすれば納得してもらえるだろうか。いろいろ考えた挙句、私は父に、親父も年であちこちガタがきているだろうから一度(健康診断)を受けてみたらどうだろうか、と勧めてみることにしました。

  いよいよ父に切りだしてみると、父は、わりとすんなり私の提案を受け入れてくれました。息子がそう言うなら・・・・・と思ったのでしょうか。あるいは、自分でも病院で診てもらうべきかなぁと、どこかで思っていたのかもしれません。それと、診てもらう先生が、よく行くかかりつけの先生であったことも、父の抵抗感をやわらげていたのだと思います。

  その時の診察の結果では、父は痴呆症でないことが判りました。私も妻も、ひとまずホッとしました。しかし、結果がどうであれ、私はあの時父を病院へ連れて行ってよかったと思います。それは、私が彼の息子として、息子だからこそ言えること、できることのひとつを、彼にしてあげたのではないか、という思いがあったからです。・・・・・・・・・・・・


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