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◎厳しい覚悟を固める時代・「志」は困難を克服する必需品「2003・2・11」



  志ネットワーク代表 上甲 晃さんの平成15年1月1日の言葉です
  

 全国にチェーン店を展開する流通業に勤務する息子が、ある大型店の経営を任せられることになった。親からすると、年齢も若いし、大した経験もないから、「勤まるか?」、「大丈夫か?」と心配しきりである。
 
 その息子が訪ねてきた。責任者としての心がまえを聞いておきたいという思いもあったようだ。私は質問した。「君は、責任者としてどんな店作りをしたいの?」と。責任者である以上は、どんな店を作り上げたいのか、その夢や理想、思いがすべての出発点である。思いがなければ、部下はどちらの方向に向けて努力したらよいかわからない。


「トップは方向を指し示せ」

  責任者の思いは、部下の心の方向、努力の方向を決めるのである。船にたとえるならば、「この方向に行くのだ」と船長から指示してもらわないことには、船員は何をしたら良いのか、どんな努力が求められるのか、途方に暮れてしまう。そして、みんな、はらばらの方向へ好き好きに向かうばかりで、いつまで経っても船は前を向いて進まない。責任者の第一の仕事は、「みんなが納得できる目標をはっきりと指し示すこと」である。

  息子は私の質問に答えた。「まあ、自分の理想は色々あるけれども、周囲からは・売上が上がり・儲かる店作り・を強く期待されている」。まことに正直と言えば正直、本音と言えば本音の答えだ。しかし、私は不満だった。「そういう考え方が、最近の不況の一番大きな原因になっているように思うよ。何のために店を開いて、何のためにそこで商売をしているのか、みんなは何のために朝早くから夜遅くまで働いているのか。その一番根本のところが間違っていると、どんな努力をしていても、成果は上がらない。また、部下たちも、「もっとがんばれ」、「もっとしっかりしろ」、「危機感がない」 と神経衰弱ゲームのように責め立てられるばかりで、士気が上がらなくなってしまう。「儲かる店作り」が一番の目的は、「喜ばれる店作り」。その根本を間違わないようにしないと、みんなを責めてばかりするようなことになりかねない。と私は持論を展開した。、



「儲かる商売ではなく 喜ばれる商売を」

  儲かる店は、努力した結果として与えられるものなのであって、目的として追求すべきものではない。私たちが商売をする目的、そして私たちが朝早くから夜遅くまで働く目的は、お客様に心の底から喜んでいただけることでなければならないのだ。お客様に喜ばれる仕事をする、その一点にみんなの心が集中し、みんなの心が集まってこなければ、決して大きな成果は得られないことであろう。昨今の企業は、経営が苦しくなればなるほど、自分のそろばん勘定ばかりに目の色を変えてしまう。自分のそろばん勘定を優先するものだから、どんどんと客の満足が犠牲になる。そんな姿が横行しているのが現実だ。

  最近聞いたひとつの実例を上げてみたい。それは、志摩観光ホテルの元総支配人兼総料理長の高橋忠之さんから聞いた話だ。「日本のホテルは、儲かるホテルを激しく競い合ってきました。どうすれば、より多く稼ぐことができるか、そのことに血道を上げてきました。結果、宿泊客は手間ばかりかかって儲けにならないことからなおざりにされ、短時間に多額の売上を稼ぐことのできる宴会に力を入れるようになりました。ホテルの構造も、宴会場の数を増やして、大中小の宴会をこなせるようになりました。それに対して、欧米系のホテルには、あまり宴会場がない。愚直なほど、手間がかかり、売上げがそれほど大きくない宿泊客を大切にして、満足を求め続けてきました。要するに、欧米系のホテルは、喜ばれるホテルを徹底的に追求してきたのです」。



「自己の利益優先から 客の利益優先へ」

  儲かるホテルと喜ばれるホテルの違い。それは、何気ない言葉の違いのように聞こえる。しかし、根本的に異なる考え方なのである。儲かるホテルは、自己利益優先の姿勢である。この姿勢をもつ限りは、「儲かるからやろう。儲からないから止めておこう」という判断が基準となる。たとえそれがお客様に喜ばれることであっても、「儲からないから止めておこう」となるのは当然だ。それに対して、喜ばれるホテルは、お客様の利益最優先の考え方である。判断の基準は、「お客様に喜んでいただけるかいただけないか」にある。その結果、「これは多少費用がかかるけれども、これは多少手間がかかるけれども、お客様に心から喜んでいただけると思うから、ぜひとも実施しよう」となるのも当然であろう。

  「経営の本来のあり方に立ち返ることこそが、真の改革」であるとするならば、儲けるために小手先のテクニックを弄(ろう)することを敢然として止め、お客様に喜ばれる仕事ができる経営に立ち返ることが、急務である。そんな話をすると、多くの人たちから、反発が返って来る。「おっしゃることはわかりますが、それは理想論。私たちには現実の経営があります。飯を食わなければならないし、社員にも飯を食わせなければならない。だから、理想ばかりを追っていて、飯が食えないようなことはできない」、そんな反発が返ってくることが少なくない。とりわけ、若い経営者に多い反発である。


「現実と理想を 対立して考える間違い」

  そんな時、私は勢い込んで、自説を述べる。「あなたは、お客様に喜ばれることと、自分が儲けることを対立することとしてとらえておられる。それがあなたの致命的な間違いであり、あなたの経営から力を奪っている最大の原因です。お客様に喜ばれることと自分が儲かることとは、相対立するもの、二者択一の選択肢ではないのです。それを二者択一であり あちらを立てればこちらが立たず と考えている間は、本当の力強い経営はできません。本当の経営者は、腹の底から信じているのです。お客様かに心の底から喜ばれる仕事ができれば、必ず世間は認めてくれる、社会は放っておかない、きっと利益という形で報いていただける」と。「お客様に喜ばれることと、自分の儲けが大きくなることは、対立する関係にあるのではなく、同じ線上にあると気がつく、それが意識の改革」です。


「経営の原点に 立ち返るぺき時である」

  最初の出発点を間違えると、努力はすべて無駄になる。それはあたかも、東京から大阪に行くのに、仙台に向かって歩き出すようなもの。「こんなに夜遅くまで働き、こんなに真剣に働き、こんなに必死で努力しているのに、どうして成果が上がらないのか」と嘆く人は多い。理由は簡単だ。大阪へ行くべきところを、仙台に向かっているわけだから、努力が報われないのは当然だ。もう一度出発点に立ち返り、その向かう方向(お客様に喜ばれる仕事に徹する)を正しく定めて、新しく出発する、今はそんな時なのである。社員にしても、「とにかくがむしゃらに売上を上げろ」と叱咤激励されて働くのと、「とにかくお客様に喜ばれる仕事に徹しろ」と叱咤激励されるのと、士気が上がるのはどちらだろうか。
  
  私もかつて営業課長をしたころ、売上の詰めをする嫌な場面を体験したことがある。「今月は、いくら売るのだ」と相手が胃の痛くなるほど締め付けて、「危機感がない」、「何も考えていないのか」と罵倒したり、怒鳴り上げるむなしさを痛感した。誰でも、売上を上げられるものなら上げたいのである。別段仕事をサボッているわけではない。要するに、「どうしたらよいのか」わからないのだ。わからないのに責め立てられるから、落ち込んでくる。その落ち込んだ姿に上司は追い討ちをかけて、「覇気がない、「元気がない」となじる。
営業会議では、どうしたらもっとお客様に喜ばれるであろうかと、そこをみんなで掘り下げるべきなのである。売上は目標ではなく、結果。目標はお客様の満足度を上げていくことにある。


「業界他社の嫌う仕事を 喜んで引き受ける」

  志ネットワークの会員である黒田孝夫さんは、三重県四日市市で、自動車の修理や販売などの仕事をしている。その黒田さんが私に、「最近、同業他社が嫌う仕事を喜んで引き受ける会社になることにしました」と教えてくれた。私はその一言に、出発点に立ち返った経営者の姿を見たようで、大変にうれしかった。「真の改革」だ。
  同業者はどういう仕事を嫌うか。答えは簡単である。手間ばかりかかって、儲けの少ない仕事である。例えば、夜中にガソリンが切れてしまって困っているといった電話が入る。一番嫌われる仕事であることは、容易に想像がつく、厳寒の冬ならなおさらだ。寒空を起き出して行く手間、にもかかわらずほとんど売上の上がらない仕事、儲けを第一に考えたら、断るのは当然だ。黒田さんは考え方を変えた。「儲かる仕事ができる会社よりも、お客様に喜ばれる仕事ができる会社に生まれ変わろう」と。私に言わせれば、商売の本来あるべき姿に返る「革命」である。

  出発点に返っても、急激に売上が上がるはずはない。しかし、「これほどお客様に感謝されたことはない」と黒田さんが感激するほどの反応はある。私は確信している。「お客様が心の底から喜ばれ、感謝されるような仕事ができる会社が衰退するはずがない」。お客様の感謝の一言が、店の信用を高め、良い評判を広げ、高感度を上げていく。それはしばらく時間のかかる取り組みではあるが、やがて大きな成果をもたらすことであろう。

  日本はこれから、厳しい冬の時代どころか、凍え死にそうな記録的な困難に突入しそうである。これは自然現象ではない。すべては、私たちが今まで進めてきたことの付けが回っているだけだ。「国家破産」といった最悪の事態も、場合によっては起き得る。その意味で、日本人は、困難に備える覚悟を厳しく問われる時がきている。備えるだけではない。自らを守る厳しい覚悟もいる。生活を切り詰める覚悟もいる。給料が下がったり、出なくなる覚悟も固めなければならない。食いつなぎ、生き伸びる覚悟の時代だ。
  しかし、慌てることはない。あせることはない。うろたえることはない。どんなに厳しい時がきても、覚悟さえ固めておれば、事態に冷静に対処できる。そしてどんな時でも、生き残るのは本物の生き方をしている人たちだ。
10数年前、「志を高く生きよう」と呼びかけても、「志では飯は食えん」と鼻先で笑われた。しかし、これからの時代、「志がなければ生きていけない」ことも事実だ。志は、厳しい時代の必需品である。


志ネットワーク 2003・1月号 巻頭言から転写しました




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