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◎ 高齢時代・「老いても自立」考えよう


 

  「新築 プラスばかりではない」

  家を新築した友人の言葉、「やっと新しい家に慣れたよ」。新築してから半年以上は経つ。この言葉は、私の新築した25年前にも当てはまる。引越しで整理したものが、どこに格納したのかすぐに思い出せなかった。帰宅して居間に置いた着衣、新築で置き場所変更は苦痛だった。靴の底にドロをつけてまま玄関に入ることはご法度などなど、古い家で慣れ親しんだことが離れず、新築住宅対応動作はダメ。じくちたる思いで過したことが忘れられない。

  父は、新築したことを喜ぶと思っていた。現実は、70年の年月に亘る慣れた動作を切り替えることは、高齢になってからは大変だったのでしょう。新築後数年間は、「俺の建てた家の方が住み易すかった」が口癖だった。家を新しくすれば生活は向上するが、精神的なマイナス面もあるということは現実です。

  
「高齢生活を楽する実践」

  若い頃、訪ねた高齢者夫婦の生活に感心したことがあります。木造平屋の大きな家に住む夫婦は、生活行動を最小限にしていた。炉辺を中心にして、座りながらに一通りのことができるように工夫してあった。

  おばあちゃんの目の前では、囲炉裏の火がやかんのお湯を沸かしている。左側には、バケツに入れた水、低い台の上にはまな板や包丁、食器、調味料が置かれ、そこは小さな台所だった。右側には、お茶がら入れやゴミ入れなどのほか、日用雑貨が積まれていた。

  二人の寝布団も、すぐ後ろに敷かれていた。居間が、「台所」 「寝室」 「物置」、すべての役割を果たすように考えたのでしょう。


  
「高齢時代を考えた新築」

  還暦を迎えた同級生の友人が、定年を節目に故郷に帰ってきた。本州の気候で長年暮したことを考えれば、戻ることは「勇気」のいることだったと思います。その友人が、妻との二人暮らしに建てた家は、私が今度建てる時には、と描いていた間取りだった。

玄関を入ると「居間」、居間には「台所」があり、北側の戸を開けると「寝室」、南側には「物置兼用の部屋」というこじんまりとした平屋です。老いても、無駄な動きを必要としない用意周到の高齢者住宅です。「屋根の面積が多く、二階建てより経費増」、「二階がなければ外観の見栄えがしない」、などという理由が交錯し、平屋を建てることは勇気がいる時代です。実践した友人に感服の一語です。


  
「子供の世話になるのは最後の最後」
  
  介護制度のできたのは最近のこと。以前は、病院に入院したり、老人ホームに入所することは、所得が相当なければ無理だった。身寄りが近くにいない場合で足腰が弱れば、当人が世話にならずに生きる知恵を出して生活する、これが当然でした。

  今は社会保障制度が充実しているので、心配ないと考えている人もいるでしょう。でも、施設に入所して生活をする、このことが幸せだ、と考えていない人も多いのも事実です。子供の世話になることは最後の最後。自らの楽な日暮は、自らの知恵で楽し〜い生活することを、元気なうちに考えてみましょう。


  
「制度利用も最後の最後」

  自宅で介護を受けている高齢者夫婦を訪問すると、居間にベットを置いていることが常識になっています。以前は、北側の暗い寝室での介護や看護が多かった。また、介護を受ける姿を他人に見せたくない、という意識も強かったように思う。更に、介護する家族が大変だという姿を見せたくない、という慎ましい考えもあったように思います。

  今は、介護は辛いもの、制度の力を借りて助け合うもの、介護者が介護で倒れないことを積極的に相談する、などということが当たり前になりつつあります。こういう世の中に変化はしたが、制度の利用は最後の最後と考え、自らの知恵でお世話になる時期を押し戻しましょう


  
「老いても自立を楽しむ造作」

  元気なうちに、高齢になっての造作に知恵をしぼりましょう。「居間」兼「台所」、プラス「寝室」「物置」、すなわち「居間だけで生活することが一番」、元気なうちに考えてみましょう。



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