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◎お金がすべての「価値観を見直す時」 その2


  その1のつづき

  「成功の影に忍び寄った゛負の遺産゛」

  しかし、お金を第一の目標にがむしゃらに全力投球して、ついにその望みをかなえることが出来た今日、日本人は、自らが今まで歩んできた道のかげに潜んできた問題と、新たに向き合わなければならなくなってきた。「これからの時代はお金がすべてである」と目標を決めて、ひた走りに走ってきたことの負の側面が、社会的な゛病気゛として、徐々に深刻さを増しつつあるのだ。

  親が子供を殺す。子供が親を殺す。友達が、友達を殺す。衝動的な殺人。毎日のように、異常な殺人事件が続発している。それも特殊な家庭のことではない。ごくごく普通の家庭で起きる異常な事件の連続に、社会の゛病気゛を感じてしまうこのごろである。

  ひょっとすると、自分の身近で、今日にでも起きかねない事件。身近どころか、私や私の家族においてさえ、いつ何時、何が起きるか分からない不安が、日本全体を覆っている気がしてならない。

事件を起こした人達が特別な存在ならば、ある意味で、安心感がある。「あの人は、何か事件を起こしかねない異常なところがあった」との一言は、「普通の人にはありえない事件」と自らを納得させることが出来るからだ。

不安なのは、ごく普通の人たちが、罪を犯し、罪に巻き込まれることである。その点が、今までの時代と一番大きく異なるところではないだろうか。まして、分別のまだ十分でない子どもたちの間で、人を殺すことがまかり通ること自体、これほど不安なことはない。


  「社会全体が一つの病気にかかっている」

  「社会の病気」。その原因の一つは、日本人が戦後60年間を歩んできた価値観の中にあるような気がしてならない。すなわち、「これからの時代はお金が全てである」と決め込んだ時から、今日の異常な時代が起きる病根は、進行していたのかも知れない。「お金がすべて」だと思い込めば思い込むほど、失ってしまった゛何か゛。その゛何か゛を突きとめなければ、゛社会の病気゛は治らないのである。

  私は最近、「世代責任」とい言葉を、しばしば使う。それは、「その時代を中心になって生きてきた世代が負うべき責任」という意味である。もちろん、私たちだけではなく、その前後の世代も、同じように時代の中核として、大いにがんばってきた。゛仕事一筋、家庭や地域を顧みることもなく、とにかく良く働いた゛との実感は、戦後を支えた世代に共通してある。

  確かに、日本人は、みんな良く働いた。゛企業戦士゛と言われる男性たちを、女性たちもまた、当たり前のように支えた。男ががむしゃらに働き、女がひたむきに支える時代だった。そして、その目的は、経済的な豊かになること。次々と家庭電器製品を買いそろえ、車を買い、家を買う。それらの欲望は、所帯を持ったり男性と女性の、共通したばら色の夢の実現でもあった。

  家も建てた。車もある。家庭電気製品は、使いきれないほどそろった。あれほど行きたかった海外旅行も随分出かけた。゛グルメと言われる高級レストランで、おいしいものも腹いっぱい食べた。もう思い残すことはない。「お金がすべての人生」を、何とか成功させることが出来た。後は悠々自適、自分のしたいことを存分に楽しもう。そんな風に思っていた矢先、突然、子供が、孫が、そして子供達が、反乱を始めたのだ。

  つづく


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