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◎ちあきなおみ 「紅とんぼ」が団塊世代に似合う



  宇宙船・アポロ11号のアームストロング船長とオルドリン飛行士の二人が、初めて月に足跡を標したのは昭和44年7月のこと。この年・歌手 ちあきなおみ は「雨に濡れた慕情」でデビューした。

  戦後生まれの私は、演歌とともに成長したきた感じがする。ちあきなおみ・は昭和45年「四つのお願い」が大ヒット。昭和47年には「喝采」で日本レコード大賞。「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい」と休業。私のような団塊の世代は、ちあき演歌に酔った人もいたのではないでしょうか。

  4歳の時からタップダンスを習い、5歳で日劇のステージに、米軍キャンプなどを回りながら歌と踊りの練習に励み、13歳で本格的な歌手活動。ジャズ喫茶のステージや人気歌手の前座、流しの経験もした苦労人です。

  昭和62年、「タンスにゴン」のコマーシャルでお茶の間の話題をさらった。翌年、歌手活動を再開、「紅とんぼ」がヒットし紅白歌合戦にカムバック。しかし、平成4年、再び活動を休業している。私は「紅とんぼ」の歌が気に入っている一人です。

この歌は、新宿駅裏で「紅とんぼ」という小さな飲み屋をしていた女将が、お店をたたみ、故郷へ帰って行く情景を歌ったものです。

  歌詞一番 「空にしてって 酒も肴も 今日でお終い 店じまい 五年ありがとう 楽しかったわ いろいろお世話になりました しんみりしないでよ ケンさん 新宿駅裏 紅とんぼ 思い出してね 時々は」。

昭和62年頃は、私としては仕事に自信?を持っていた時代だった。函館大門には、柳小路・狸小路・祇園通り ・・・ などなどネオン輝く店が立ち並び景気もよかった。店のママさんは、太っ腹な性格が多かった。仕事のグチに同調してくれたり、ときには褒めてくれたり、ツケをしてもあるとき払い ・・・・・ 。

  歌詞二番 「いいのいいから ツケは帳消し 貢相手も いないもの だけどみなさん 飽きもしないで よくよく通ってくれました 歌ってよ騒いでよ しんちゃん 新宿駅裏 紅とんぼ 思い出してね 時々は」。

長い間には、常連の店を変えようと思うこともあった。しかし、隣の芝生は緑のことわざのごとしである。やっぱり・やっぱり・飲み慣れた自由の利く場所が心も身も落ち着くし、家内も安心する。こういうように気分よく飲め、ツケの利く時代は、小遣いの額からして檀家回りはやりくりが大変だった。

  歌詞三番 「だから本当よ 国へ帰るの  だれももらっちゃくれないし みんなありがとう うれしかったわ あふれてきちゃった思い出が 笑って泣かないで チーちゃん 新宿駅裏 紅とんぼ 思い出してね 時々は」。

若いときからお世話になってきた店、ほとんどが店じまいしている。店のお客さんが全部恋人の気持ちで接しなければならない辛さ、見せはしないが心で葛藤し続けてきたことは察することができる。やっぱり理解ある夫のいるママさんは、店じまいの時期を心得ているように感じます。

お店を経営することは、努力が要る世界ですね。少々体調が悪くても店を開けなければならない。開けたからには、笑顔満面を片時もはなされない。盛夏・年始・誕生日・・・・気遣いがいっぱい。身だしなみのお金もバカにならない。お酒も付き合いで飲まなければ ・・・・ 「健康維持」、これが全ての世界であり「社会貢献」の仕事ですね。


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