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◎ 病院での家族看護の苦痛



  認知症の父が、4人部屋に入院した時の看護は、よそ様に大迷惑をかけた。夜になると雑音がなくなり、チョットした物音も大きく感じる。大声で家族を呼んだり点滴を取り外したりと、想定外のことが次々起こる。

  飯島さんの「介護の日々」を読むと、その時のことが蘇る。この手記は多分、ほんのさわりの部分だけ記したと思う。介護を受ける人は辛い。しかし、看る人にも重く負担がのしかかる事がこの文章から良くわかります。あなたも、もしもの時のことを考えてみてはいかがですか。


  「介護の日々です」  横浜高齢社会をよくする虹の仲間・会員 飯島綾子さん
                                            虹のたより から


  妻を亡くし、しばらくは持ち前の明るさで独り暮らしに慣れて来たように見えた父(83歳 山口県在住)に、1年前からいろいろと問題が生じてきた。

  3月のある日、たまたま足元に置いた箱につまづき転倒、「大腿骨を骨折し入院になる」とヘルパーさんから連絡が入る。ときどき行く整形外科「お元気クリニック」から隣市の大病院に転送され、手術になるという。

  「こんなはずではなかった」と自分の不注意を嘆いていた2日ぐらいはわたしも救われたが、狭いカーテンで仕切られ異様な空間に閉じ込められたという思いと、骨折した足には重しを付けられて身動きできない環境が父にとって苦痛この上ない。脳梗塞の薬を服用しているため、1週間後の手術まで第1段階のパニックが続いた。

  パニックを起こしている父は周りに好い顔をされない。看るわたしの方が注意を受ける。言われるまでもなく迷惑を蒙りわたしは諭すように制すが、父は我慢する学びは無く、現状が理解できず聞き入れない。

  ボルトを入れる手術はうまくいき、重しは外されたが、点滴を外そうとしたり、おむつも嫌がる。ベッドの上で動けない日々は相当ストレスになる。術前わたしは生家から通いで(1時間)、術後の4日間は簡易ベッドで休みつきっきりの看病をするが、4人部屋の隅で疲れがたまり、父の幻覚にも悩まされていく。翌晩近くのホテルへ脱出(自宅はタクシー往復で7500円)を決行する。「近くのシティーホテルに泊まりますが、携帯をもっていますから」と言い残して。

  朝、早速携帯が鳴る。「家に帰る、タクシーを呼べと泣いて暴れて困っています」と看護師さんからの呼び出し。ナースセンターでパジャマは上だけ、下はおむつのままの恰好で車椅子の父が隔離されていた。ズボンを履くのを嫌がるならバスタオルを掛けてくれたらと思ったが、「申し訳ありません」。その後5時間、家に帰りたい、タクシーを呼べ、何でこんな目に遭わせるといい続ける父をなだめ車椅子で病院内や屋上を散歩した。

  「ベッドから落ちそうになるので、安全ベルトを付けてもいいでしょうか」と看護師さん。暴れ方を目の当たりにすると、承諾するしかなかった。鍵付きのベルトが父の体を固定する。「何でこんなもの付けるんだ」「ベッドから落ちて又骨折したら大変だから。我慢してね」と諭し、付き添っているときは鍵を外した。父にとっての不都合はストレスを加速していく。

  ベルトの次は防護服着用となった。わたしが付いていないとズボンを脱ぎ、おむつも外してしまうからだと言う。ストレスにまた拍車がかかった。死にたいと何度も言う。「背広を持って来てくれ。歩けなくてもいい。タクシーを呼べ。すぐ帰る」「治ってからにしようね」に腹を立てる。認知症には否定の言葉が一番いけないことは分っているが。「お前は役立たずだ」。

  次は錠剤を尖った銀紙ごと飲み込み、あわや開腹手術?なる事件を起こし、幸い胃カメラで事なきを得たが。

  早く保険施設に移ってほしいと言われるが、まだ決まらない。リハビリでつかまり立ちができ、もたれる歩行器で少しづつ足を運べるようになった。「メリハリのある柔和な雰囲気の施設でリハビリを3〜6ケ月続ければ」また家庭で暮らせる見込みという。

辛抱をしなければならない父も苦しいが、介護の中心者であるわたしも悩みの連続だ。ヘルパーさんとお元気クリニックのせんせい、家族の理解にも支えられ、救われる思いの日々でもある。


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