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◎ 看る人も辛いが 看られる人はもっと辛いこ



  人生の名人は、「適当に認知症になったふりをして暮す」ことだという。自分を抑えて生きている人、きちんとしすぎている人は、「名人」になれないそうですよ。

  名人を介護する家庭は、恵まれていると思わなければなりません。「正々堂々がんばらない介護」の著者・野原すみれさんは、「家族の介護は3年が限界、だが長寿国日本では10年以上介護している人がたくさんいる」。そして、「いつ終わるかわからない状況の中で、精神的にまいっている」、と警鐘を鳴らしている。

  田舎に住んでいれば、「親の面倒を見るのは当たり前」という考えが一般的です。昔は寝込んでも長くはなかった。今は「いつ終わるかわからない」という不安のなかでの介護です。

  雑誌の読者手記・「私の介護体験記」を読むと、文字では表せない苦労の日々が隠されているようにも思える。介護が終われば「美談」になるが、経過は苦悶の連続との葛藤だと推察してしまう。ここに体験談を紹介しますので、自分がその立場に置かれる時がくることを頭に置き、考えてみましょう。


  わしは誰や   和歌山県に住む45歳・男性の体験記

  
  介護−−−それはとてつもなく続く疲労の道程。受ける側はもとより、世話する側にとっても、筆舌に尽くしがたい受難の日々を覚悟しなければならない転機だと思う。

  寡黙な明治人のイメージからかけ離れ、常に話題が豊富だった父が認知症と思える行動をとったのは、5年前の晩秋の候。最大手の私鉄会社に奉職し、定年後は南紀に移り住み、余生の趣味として、専ら読書三昧。短歌も精力的に創作していた頃、時を同じくして私は、一年程病床についた事がある。それが父の認知症の始まりの因だった。

  二人の子宝には恵まれたものの、私のわずか一年の入院生活でも、父には精神的にこたえたのだろう。退院し帰宅した私は、温かい言葉を期待した。が、返ってきたのは「ここはどこ、わしは誰や?」。真面目な口調に笑わざるをえない。

「家(うち)やがな。お父(と)ん。息子の顔も忘れるとは終わりやの」。冗談まじりのつもりが、鬼の形相に変化。「わしには息子はおらん。他人は今すぐ出て行け」。あまりの見幕に銚子拍子抜け。理由なき勘当だ。鍵をかけられ屋外で夜を明かす事に。晩秋の南紀には珍しく霜がおりた。

  認知症の進行は度を増し、ついに妄想にまで発展した。夜中に起き出し背広とネクタイを着用。「会社に行く時間や」「会社て、いくつやと思てんの? 93歳やで」。説得する母もずいぶん持て余したものだ。

  でもこれはほんの序章。大食漢の父は老齢の域に達しても、食欲が旺盛。頑丈な胃袋は加熱していない食品まで要求した。食べて食べて昼夜を問わず食べ続ける。過食後は莫大な排泄物の処理に、汚れた下着の山の洗浄。まさに24時間稼動の交代制業務だ。

  「死期が近いと仰山食うもんや」。父の死を待ち望んでいるように母は呟く。これ以上の苦労はしたくないのだ。二人して耐え抜いた日々はあまりにも長かった。しかしその苦労とも決別。昨夏、肺炎を患い霊山へ旅立った。棺の中では樒(しきみ)に囲まれ微笑している。視に水を含ませながら語った。「今度会うたら、お父んの好きやった秋刀魚寿司作ったるわ・・・・・・」。



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