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◎ 「信じられるものは やっぱり幸いである」 上甲 晃さん 



  「信じられるものは やっぱり幸いである」


  最近、私のような信仰心の乏しい者は、信仰心の深い人をうらやましいと思う。例えば、大失敗をした時、「これは神様の意思だ」と信じられる人は、幸いだ。失敗したのは、神の意思だと考えるならば、いたずらに人を責めることもなければ、必要以上に落胆することもない。自らを反省するのみである。少なくとも、「神様などいない」と思う人よりは、精神的に救われやすい。

  また、あの世を信じられる人は、あの世をまったく信じない人よりも、亡くなる直前、心のやすらぎを得られるのではないだろうか。科学的に証明できなければ、来世など信じられないと考える人が、はたして、この世を去る最後の瞬間に、心安らかに死に行けるだろうか。

  「おかげ教」は、いつまでたっても、教祖一人に、信者も一人。布教活動もなければ、信者数を増やすこともしない。なぜならば、それは、私が求める真理探究活動だから。

  人間にとって、何が受け入れがたいと言って、死ほど受け入れることの難しいものはない。死は、私のすべての否定であり、しかも誰も免れない絶対真実なのだ。だとすれば、おかげ教では、死もまた、「おかげさまで」と受け入れて、「何とかこれを生かせないか」と考える。

その境地になればなるほど、今この瞬間を真剣に生きようという力が沸いてくるはずだ。死ぬおかげで、今この瞬間の値打ちが分かる。もし人間が永遠に死ななかったら、今がんばろうなどと、誰も言わないだろう。
  

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