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◎親が子に語り継いで完成した「石段」



  私が住む市渡地区に馬頭観音がある。かなりの高低差の階段が73段。両サイドの栗の大木を眺めながら上がると、ほどよい汗をかく。息が少し荒くなる程度で、体にとても良い。

  檜山管内のせたな町、旧大成町の大田権現のある大田山(485m)霊場の登り口の階段は急だ。道南五大霊場と言われるだけあって、最初の43mは斜度40度の急勾配の階段。足をかける幅が狭く、ロープに掴まってようやくという危なさの階段です。

  有名な東北を代表する霊場、山形県の「山寺」。ここの階段は1104段、いつ行っても登ることに骨がおれます。いい汗をかかなければ辿り着かない。いい汗をかくと、合掌する手にも気持ちが一層込められた気がするのは私だけでしょうか。上甲晃さんが、山梨県にある日蓮宗総本山・久遠寺の石段について記していますので、いっしょに考えてみましょう。



  「親が子に継ぐもの」  志ネットワーク代表・上甲 晃さん  デイリーメッセージから

 
  「この石段は、佐渡の金山を発見した仁蔵と、その子供、孫の三世代にわたって、ようやく完成しました」。そんな説明に、私は耳を止めた。

三世代にわたって造った石段などと聞くと、「志」を感じてしまう。石段は、山梨県身延山にある、日蓮宗総本山・久遠寺の山門と本堂を結んでいる。高低差104メートル。段数は、287段ある。

  仁蔵は、佐渡から身延山の久遠寺まで、母親を背中に負いながら、参拝していた。当時は、参拝もすべて、徒歩である。参拝の人達が、もっとお参りしやすくしたいとの思いから、金山発見の報奨金を投げ打って、石段造りを発願したのである。

話しを聞くうちに、「これはまさに志だ」と思わざるを得ない。石段は、仁蔵の時代には完成できなかった。仁蔵、子供に石段造りを継続するように申し付けた。遺志を継いだ子供の時代にも、石段は完成しなかった。さらに孫に引き継がれた。そして三代、ついに石段は完成した。

  三代もの間、志は引き継がれた。「花は落ちても実は残り(中略)、親は子に志を残す」、そんな掲示板の文字を境内で見かけて、改めて、石段に残された三代の志に、学ばさせてもらった。「子孫に財産を残そうとするな、志を残せ」と石段が教えてくれているようだ。

  石段には、落ち葉が舞っていた。多くの人達が昇り降りしている形跡は、ほとんどない。聞くところによると、「お参りの人達は、車か観光バスで本堂のすぐ前まで上がってきますから、石段を使うことはありません。使うとしたら、スポーツ選手のトレーニングの時ぐらいです。と、お寺の事情に詳しい榊原さんが説明してくれる。

  時代は変わり、仁蔵さんの志もまた、かなたに消えかかっている。もっとも、苦労してお参りするからこそ、信仰心がいっそう強くなることも事実らしい。この石段を「菩提梯(ぼだいてい)」と呼ぶ。「菩提とは、悟りに至るきざはし。この石段を登り切れば、涅槃の本殿に至ることができることから、悟りの喜びを意味している」と、久遠寺が発行しているパンフレットにある。お寺くらいは、汗をかきつつ石段を登ることを大切にしてもいい。

  以上

  私は久遠寺に行ったことはない。インターネットで石段を見たら、とても幅の広い立派な石段に見えます。親が子に語り継いで造った「継続の石段」に、頭が下がります。この目で確かめたいと思っています。

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