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◎ 地域おこし



  全国さまざまな地域が人が、「地域おこし」の挑戦を繰り返している。それは、道府県単位の大きな範囲の取り組みだったり、村の中の小さな範囲もある。

昭和36年12月、大分県・大山村(当時)の村長・矢幡治美さんが提唱したNPC運動。「N」は new、「P」は梅 plun、「C」は栗 chestnut。「梅栗植えてハワイへ行こう」が合言葉のこの運動は、全国が憧れる地域おこしでした。また昭和54年11月、当時の大分県知事・平松守彦さんが提唱した「一村一品運動」は、全国に名を馳せたのは記憶に新しい、大山村の運動が基礎にあったのかも知れない。

竹下登・首相が提案した「ふるさと創生事業」は、全国の市町村に1億円をプレゼントした。大野町では、せせらぎ温泉掘削と中学生のオーストラリア研修に充てられ、効果を得ている。

このような行政主導の地域おこしは、急ピツチでブームを作るが、また一部では急速に熱が冷めていくことも事実である。ほんとうの「地域おこし」とは何か、これはいつの世も問われる宿命である。

  岩手県・葛巻町の江刈川地区。ここには、ゴトゴトゴットン・水車で挽いた美味しいそばがキャッチフレーズの「森のそば屋」さんと、郷土料理がうりの「みち草の駅」がある。私は、ここに何度か足を運んでいる。ここに行くと、小さな部落を自ら守ろうという気迫が伝わってくる。

「地域おこし」は一見、誰もが素直に受け入れてくれそうに思える。しかし、挑戦する現場では、結果を恐れての後退的な意見が強くあることも、否定できない現実に思える。農林水産省東北農政局が企画して出版した、農工商連携で未来を拓く 「地域に生きる」は、新しい暮らしと産業づくりに挑戦する人びとのうねりを描いている。この中に、江刈川地区の地域おこしが記されているので紹介します。私たちも、常に地域おこしを描く、そして実行に移す気力を忘れてはならないことを感じます。


  「地域に生きる」の中から リスクを負う「地域競争体」  東北地域農政懇談会・編著者

  岩手県・葛巻(くずまき)町の高家卓範さん(55歳)は、町役場の職員として町の振興計画の策定などに携わってきたが、一番現場に近いはずの町役場が、国や県の言いなりで、現実を見ないで仕事をしていることに疑問を感じていた。

高家さんは、地域を元気にするためには、地域にお金を稼ぐ場所を実際につくることが必要だと思った。そこで、自宅のある江刈川地区で、「水車で粉を挽いて、村のお母さん達が打つそばで地域おこしをやろう」と考えた。

  高家さんは、そばによる地域おこしを地区の人達に説得して歩いた。だが、人々の反応は冷ややかだった。「日本のチベットといわれる葛巻町の一番奥の江刈川くんだりまで、誰がそばを食べに来るか」。地区の有力者も、資金や失敗したときの負担を理由に反対した。

結局、地区全体の取り組みとすることは断念せざるを得ず、賛同するお母さん達とともに、平成4年、「森のそば屋」を開店した。高家さんが家と資金を出し、お母さん達がそば打ちの技術や古い食器などを提供する。賃金は日払い制とした。たとえ明日倒産しても、おかあさん達には不払いが一切生じないようにするためだった。

  高家さんがすべてのリスクを背負う形でのそば屋経営は、しかし、当たった。お母さん達の賃金が小遣いの範囲を越えるようになると、これまで冷ややかに見ていた人から、「私も働かせてほしい」という声が聞こえるようになった。

地区の皆の取り組みとするという当初の目的に近づく一方で、しかし、限られたパイを切り分けては、苦しい時期に手伝ってくれた人達を裏切ることになる。高家さんは頭を悩ますことになった。このジレンマの中で、高家さんの奥さんがもう一つ別の店をつくろうと提案した。

そこで生まれたのが、地域の伝統料理やお菓子の製造・販売を行う「みち草の駅」だった。「みち草の駅」も当たった。週に二回、盛岡市の肴町商店街まで出かけて移動販売を行う際には、「商店街の人の流れが変わる」といわれるほどになった。

  高家さんの取り組みは、地域がうるおって、初めて自らの経営が成り立つと考えている。現役の役場職員である高家さんにとっては、地域の皆が豊かになる仕組みをつくることに、一層、重きが置かれていた。

だか、その過程で、高家さんは、「うっとうしくもあり、ありがたい」という地域共同体の二面性に頭を悩ますことになる。まず、ぶつかったのが、「リスクのあることに手を出したがらない」という共同体の保守性だった。そこで、高家さんは、自らがすべてのリスクを背負うことを決意する。

地域づくりでは、「一人の100歩より、100人の一歩」と共同性が強調されることが多い。だが、高家さんは、「100人が一歩動こうとしたときは、皆が遅れに気がついたとき。先進的に取り組もうとしたら、必ず反対があるはず。何割かが賛成したらやってみるという決断が必要だ」と指摘する。最も歩みの遅い人に合わせていたら、一向に地域は変わらないのだ。

それを乗り越え、利益を上げたとき、今度は、事業性と共同性の狭間で悩むことになる。「リスクを背負ったのだから、リターンを得て当たり前」で済ませられなかったのである。これを、単にやっかみや足の引っ張り合いなどの共同体の嫌らしい部分と片づけることはできない。

地域では、一人勝ちは許されないのである。なぜなら、地域の中に勝ち組と負け組みをつくってしまったら、共同体は崩壊してしまうからである。そこで、高家さんは、事業性と共同性を両立させるために、「森のそば屋」とは別の業態として、新規参入者のために「みち草駅」を用意する。そして、両者が競い合い、共鳴し合う中で、地域の力が増幅していくのである。 


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