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◎ 田舎から田舎がどんどんなくなる?



  「日常生活の環境変化」

  大野町の市渡地区で生活して約60年。日常生活の環境が、ずいぶん変化したことを感じます。こういうことを思うのは、年を重ねたせいだろうか。

  「田舎」だと思っていたが、日々どんどん「田舎」部分が減っている。私はこの頃大野町を「田舎都会」と表現しています。住んでいる人が少ないから 「田舎」 なのではない。「田舎」と呼べることがどれだけあるのか、によって 「田舎」 を決めたいと思う。「田舎」の良い部分を増やしたり復活させたりすることを、考え実行することを期待したい。


  「田舎の思い出」

  裏の畑には、ピョン・ピョン・ピョンと飛び跳ねる緑色をした「バッタ」が沢山いた。バツタを大きくした「トランボ」だっていた。捕まえて腹部に紐をつけて遊んだ思い出もある。真っ黒い色をした「コオロギ」も沢山いた。しかし、この頃は裏の畑で見つけることは容易ではない。

  家の前にあった川。水面の上を、オニヤンマのトンボがいつも飛んでいた。タモで捕まえようとしても、素早く逃げられた。今は、川にフタがかけられたため、その面影はない。オニヤンマの生息環境を奪ったからだろうか。

  すぐ裏山に、通称「べな沢」と呼ぶ小さな谷川がある。ここには日本ザリガニがいた。小さい頃、バケツを持って捕りにいった。川底の石の下に生息、石を除去すると何匹もうようよしていた。今見つけることは容易ではない。

  クワガタだって沢山いた。柳の木の幹を足で「ドン」と踏むと、バタ・バタ・バタと落ちてきた。一度に5匹も6匹も。ツノの大きいクワガタには大喜びし、メッチョにはガッカリした思い出がある。このクワガタ、今見つけることは容易でない。

  「田舎の夏の定番」は、「セミの鳴き声」。アブラゼミ・ミンミンゼミ・ガラ・・・・・・・大型・小型のいろんなセミがいた。たけざおの先に針金の輪を付け、これにクモ巣を何重にも。このセミ捕り道具を使い、クモの巣のネバネバで羽根を貼りつかせて捕った。我が家の裏にあったブドウ畑の下は、セミの幼虫の穴が沢山あった。家の周りのほうき草にも、ふ化するセミが沢山ついていた。最近は、セミの鳴く声が少なくなったと感じる。

  大野川は水が豊富だった。そこには、「カジカ」がたっくさんいた。川底を見る箱ガラスを当てても逃げなかった。それを、ヤシで突き捕った。笹ざおにカジカを通し持ち帰ったことは、今でも忘れない。家で食べたという経験は思い出せない。

   ホタル、我が家から稲里地区への農道脇にたくさんいた。この頃は、ホタルがいると大騒ぎする時代になった。

  カタクリの花、裏山の裾野に敷き詰めたように咲いていた。小さい頃は、カタクリの葉をおしたしにして食べた。シロ・タマピロ・・・・・・いろいろな山菜が家のすぐ近くで採れた。今は、陰も形もなくなった。


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