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◎痴呆は人生の終わりではない「死に至るまでの旅」



  「残された部分で音楽を奏でる」  クリステーン・ブライデンさんの講演から

 痴呆を抱えて生きる私たちは、『ゆっくり運転』で新しい人生を生きようとその門出を祝ったのですから、自分に残された部分を使ってどれだけの音楽を奏でられるか、自分で見つけてみようではありませんか。実際には必死でやりくりするだけの時が多いかもしれませんが、日々の一瞬、一瞬を楽しみ、光り輝くための新しい方法を探していけると思います。

 私の場合、その方法とは、まず娘たちを学校に迎えに行けるようになったこと、そして、ケーキを焼く時間ができたことでした。今好きなものは、太陽の光、それから花や夕日を見ること、猫を撫でること、夫を抱きしめることです。

 脳の認識機能よりも人間関係や環状の強いつながりを重視することで、私たちの中に埋もれている真珠のような別の才能を新たに開くことができます。

 私の痴呆を生きる旅の4年目が終わった時、私はポールと結婚しました。今私は、連れあうこと(コンパニオンシップ)と責任をもっておたがいが関わること(コミットメント)の2つに基づく愛ある関係の驚異を、日々自分で経験しています。彼こそが私の痴呆を生きるこの旅のケア・パートナーです。

 そして私たちは自分の精神性(スピリチュアリティ)を再発見し、自分の人生に意味を与えてくれる存在に気づきます。その中で自分の意識がドンドン広がっていきます。私の場合はキリスト教の信仰を通して気づきましたが、神道、仏教、イスラム教、ユダヤ教など他のさまざまな宗教や、人によっては宗教ではなくて、ガーデニングをしたり、猫と戯れたりすることを通して気づく場合もあるだろうと思います。自分の中の怒り・おそれ・混乱を通り越し、全てを受け入れることで自分の精神が高まり、私の場合には、キリスト教への信仰が花開いたと思っています。

 人生の旅にどうかかわるのか。それは私たちの生きる姿勢一つで決まります。私たちの心の内なる豊かさと精神性を拠りどころにして、1日、1時間を自分への贈り物としてみることができれば、痴呆症の人生のパターンを変わっていくことができると思うのです。


 痴呆と共に生きる私たちには、自分の感情と向き合い、受け入れることで、癒しへの時間を歩むための時間があります。その経過を経て、私たちは被害者の自分から生存者、サバイバーの自分へと変わっていけると思うのです。


  「診断から死に至るまでの旅をともにする」

 痴呆所の診断を受けてから前向きに生きるようになるまで旅してきたサバイバーである私たちが、ケア。パートナーの方々と一緒に、新たに痴呆症と診断された方のショックをサポートする中から得た知恵を、ここで皆さんと分かち合いたいと思います。

 私たちはある意味で生死に直面し、自分がなくなっていくことの恐れから自分を解放する方法を見つけました。しかし、それには多くの勇気がいります。自分の中にとても大切な真珠のネックレスがあるのですが、その糸はほどけ、壊れかけています。しかし私たちは痴呆症と日々格闘する中から新しい真珠が作られていくことを知りました。その新たな真珠を使って、私たちは未来の命と希望のネックレスをつなぎ続けているのです。

 この痴呆の旅で、私は実に多くのことを学びました。私たちもかつては皆さんのようにいわゆる正常な状態でしたから、それがどのような状態かは知っているつもりです。私たちは皆さんの世界と私たちの世界の両方を知っている人間です。皆さんが、私たちの壊れた声や断片化した施行、過去・現在・未来がばらばらになった記憶に耳を傾ける方法を見つけてくださりさえすれば、分かち合えることはたくさんあります。

 痴呆症と診断された人びとと共に歩もうではありませんか。私たちの使命は、痴呆症を抱えて前向きに、現実的に生きること、そして1日を最大限に生きていくことです。皆さんが私たちに触れようとしてくださった時に、私たちも皆さんに触れていこうとすることです。そして診断から死に至るまでの旅を皆さんと一緒に生きていくことが私の願いです。ありがとう。

 講演を終えて一言:講演をしながら皆さんを拝見していまして、本当に痴呆の問題に皆さんの並々ならぬ熱意とご興味と愛というようなものを感じ、頭の下がる思い出お話させていただきました。ありがとうございました。



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