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◎痴呆は人生の終わりではない「社会的孤立」



  「痴呆という烙印・・・・社会的孤立」  クリスティーン・ブライデンさんの講演から

  それは社会的な孤立を意味します。痴呆症についての誤解と恐れが、社会的にマイナスのイメージとなり、痴呆を生きる私たちと社会とのかかわり全てに影響します。

 一般的に痴呆症者はものを覚えない、理解しないと言われます。「どうせ痴呆症の人にはわからないのだから距離を置いても構わない」というような態度があります。恐れとおびえから痴呆症の私たちを取り扱うので、私たちはどんどん孤独に追いやられてしまいます。
 
 『危機に立つ父性』の著者で知られるジェームス・ダドリンが、知的障害を持つ人について語った言葉があります。「私たちは社会的接触の複雑な網の目の中に生きているが、その網はマイナスのイメージで汚されている。例えば人種差別のように広く蔓延する、汚れた網の目は、人間の特有のものである。」

 このスティグマ、あるいはマイナスのイメージによって、家族や友人さえもが私たちから遠ざかってしまいます。痴呆とともに生きている私たちは、働くことも、車の運転も、社会的貢献もままなりません。そして変な言葉遣いや奇異な行動を取らないかどうか、常に見張られています。もはや意見を求められることはなく、私たちには見識はないものと見捨てられて、必要ならば排除してもいいという扱いを受けています。

 アメリカの黒人市民権運動の指導者として知られるマルチン・ルサー・キング牧師の同志の黒人たちは次のように唱えました。「自分を取るに足らない人間だと思ってしまうような、人間として退化した感覚はもうやめよう。そしてそのような間隔に反対していこう」。痴呆を抱えて生きる私たちはその言葉の意味を知っています。

 痴呆症の診断が私たちの世界を永遠に変えてしまったのです。



  「希望はある」

 しかし、痴呆症と診断されてもまだ希望はあります。前向きに生きていくことは出来るはずです。その時に、情報が大変重要になります。情報によって私たちは力づけられるからです。一口に診断と言っても、どれほど少しのことしかわかっていないか、そして一人一人の個性がどれほどのものかを考えてみてください。

 痴呆症の治療はすぐに始めてください。一度機能を失ってしまうと簡単には修復できません。私の場合は、1995年の診断と同時に抗痴呆剤を与えられました。今、アリセプトという薬を飲んでいますが、これは2000年の中ごろから毎日飲み続けています。毎日1錠のこの薬がなかったら、きっと私は霧の中で考えごとをし、ぬかるみの中をあるいているかのようになってしまうでしょう。今の私にとって、日々の生活を送るということは、ゴーカートのように、頭が混乱してボーッとした状態にあることなのです。

 標準的な予後診断で余命が短いと告げられても何の助けにもならず、現実的ですらありません。しかし自分の病気が死に至るものだと知っておくことは、身辺整理の点から必要だと思います。私の場合には法律相談を通して財産管理の後見人を決め、心の安定を得ました。

特に診断直後には、心のサポートが必要になります。痴呆症を抱える私たちの怒りや嘆きを聞き、これまでの自分の心の問題に向き合えるように助けてください。私たちは、これから失っていくことを心配して嘆き、トラウマに苦しみます。その声は、誰かに聞いてもらう必要があるのです。個人のカウンセリングとサポートグループが大いに役に立ちます。

 私にとって国際痴呆支援ネットワークは大変貴重な存在です。痴呆症を抱えて前向きに戦っているのは私だけではないと知ることができ、また痴呆症がどんなものかを知っている人たちと分かち合いができるからです。

 一番大切なことは、私たちが痴呆を抱えて少しでも前向きに生きられるように、新たな第2の人生を『ゆっくり運転』で生きていく希望が持てるように、励ましていただくことです。そうすれば、私たちの高い望みもかなえられ、皆さんと一緒に星をつかむことさえ夢ではないと思います。
 


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