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◎痴呆は人生の終わりではない「痴呆です・治りません」



  痴呆症のシナリオ「痴呆です」「治りません」  クリスティーン・ブライアンさんの講演から

  検査の時間は本当に苦痛でした。結果を待ちながら思い悩み、悪い病気であっても治る病気であってほしい、人生がまた正常に戻ってほしい。と必死に願いました。しかし、人生は劇的に変化します。

  「痴呆症です。治りません。」 と医師が言った言葉はまるで呪いのように感じられました。昔、呪う人を指し示すのに骨を使ったと聞きましたが、その骨を指し向けられたかのように、私はひどく落ち込んでしまいました。

  私たちの多くは診断の時に 「これからは標準的な痴呆症のシナリオを参照にします」と言われました。「痴呆症になったら完全な痴呆状態になるまでに5年、その後3年位で亡くなるんでしょう」と、紋切り型の人生の台本を医師から与えられてしまうのです。

私たちが落ち込んだり嘆いたりして苦しむのも当然だと思います。私たち痴呆症を抱えるものは、「ガンだったら良かったのに」と思うことさえあります。しかし、痴呆症の診断にはまったくそれがありません。

  国際痴呆症支援ネットワークという団体の会員の痴呆症者たちは、自分たちの診断をお互いに比べてみました。すると、それぞれまったく違う人間で別々の病歴があり、性格も、病気との向き合い方も違うのに、痴呆症ということだけで同じシナリオが与えられてしまいました。どうして世界中の医師が同じ診断を行うのでしょうか?。


  「診断のショックと予後診断の恐怖」

  痴呆症のシナリオ、つまり診断のショックと予後診断の恐怖が、私たちの人生の分岐点になります。診断を言い渡された瞬間のことは、私たち痴呆症を生きる者の心に深く刻み込まれていきます。その診断を受けた時の天気、人が着ていた服、言われた内容などが、私たちのゆがんだ記憶の中から霧が晴れたように浮かび上がり、一つのはっきりとした光景をつくります。

  中には、診断によって、ようやく自分の混乱状態、のろのろした動き、物忘れ、日常生活の困難に説明がついてよかった、と安堵する人もいます。しかし、なお将来に立ち向かっていかなければならないという厳しい現実が待っています。

  また、診断結果を疑う人もいます。当然ですが、私たちは人間としてどこもおかしくはありません。自分もそして自分の家族もわからなくなって老人ホームにいる人々と、未来の自分をつなげて考えることはなかなか難しいものです。

  私のようにトラウマを負ってしまう人もいます。私の場合は、自分と娘たちの将来を考えると恐ろしい現実に気づかざるをえませんでした。仕事は退職しなければならない、けれども家族は養わなければならない。私の世界は崩壊しました。すべては変わってしまったのです。精神も希望も打ちのめされ、崩壊してしまいました。

  痴呆症と診断され、自死を考えた人を私は何人も知っています。国際痴呆支援ネットワークの会員である女性は、今自分の人生を終わらせる計画を立てています。自分に与えられた痴呆症のシナリオをまっとうしたくないのだといいます。自分という者があるうちに、自分のアイデンティティーが確認できるうちに尊厳をもって死にたいと彼女はいうのです。



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