痴呆は人生の終わりではない 「痴呆の旅の始まり」


  高齢者の認知症は、全国で約160万人いるという。実に65歳以上の15人に1人の割合。2015年には250万人に増えるとはじかれている。

  オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんは、46歳の時にアルツハイマー症と診断されました。その当事者が 「私たちの能力を信じてください。認知症は心が空っぽだという偏見によって引き起こされる社会の病気でもある。私たちには時間がなく、支援が必要です。偏見を取り除く戦いで、みなさんが同志になってください」。こう講演で呼びかけています。

  海外では近年、認知症の当事者が語り、行動することでさまざまな変化が起きているという。日本でもようやく認知症患者が語り始めました。シリーズでクリスティーン・ブライデンさんの 「だから私は生きていく」 を要約して紹介します。



  「痴呆の旅はどこから始まるか?」  クリスティーン・ブライデン


  痴呆症の最初のサインは、私たちの心の中に起こってくるとてもおだやかな変化であるため、自分で気づくことはほとんどありません。

家族や友人も 「あの人らしくないね」 と思うかも知れませんし、自分でもストレスがたまりすぎているせいだと思うかもしれません。しかしそのような状態こそが、ゆっくりと進行する長い変化の旅の始まりなのです。

  私の場合は、頭に霧がかかったようになり、しょっちゅう混乱するようになりました。ゴーカートに車が溢れているような感じです。時にはハンドルをうまく切れずに、おかしくなってしまいそうなこともありました。

そしてとても疲れやすくなり、とにかく仕事から早く家に帰って寝たくなりましたが、仕事を中断してベットに入ることはできませんでした。

  当時の私は、3人の娘を抱えたシングルマザーで、家では娘の面倒を見なくてはならず、職場では1億3千万オーストラリア・ドルの予算と、30人のスタッフを抱え奮闘していました。

そんな私はごく普通のことでも強いストレスを受けるようになり、毎週のようにひどい扁桃痛に悩まされました。文章を書き進む途中で何を言おうとしていたか忘れてしまったり、職場へ行く道がわからなくなったり、意思決定を行うことがどんどん難しくなってくる自分に気づいていました。

職場でも家庭ても、このゴーカートのような混乱した状態がずっと続いていました。何をするにもすべて努力しなくてはならず、自分でも何かおかしな感じがしていました。そして私はついに家族の説得に従って、医者に行くことにしました。そこら診断の旅は始まったのです。  

次につづく 「検査という裁判」


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