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◎人間の五感と森林・木の話 連載2 農学博士・梶本孝博さん


「三内丸山遺跡・大船遺跡」

  三内丸山遺跡と元の南茅部町の大船遺跡のお話をさせていただきます。これは縄文時代ですから、5千年くらい前のことですが、いかに古代の人々が森林とともに生きてきたのかというお話であります

三内丸山遺跡をご覧になった方もいらっしゃるでしょうし、大船遺跡も元の南茅部町ですからご覧になった方もいると思いますが、この両遺跡は昔から交流があったと言われています。

この遺跡をよく調べると、遺跡のまわりに、栗の純林がありました。栗を大きな柱にして高い物見櫓を作ったり、杭や板を作るとか、もちろん薪にしたり、食料にも利用していました。

しかも遺跡の周りの栗は品種改良が進んでおり、非常に大きな栗が採れ、もう5千年も前の縄文の人方は自分たちの森をつくって、その森を管理するということもやっていたのであります。

  栗は食料としてはいささか甘いので、栃の実、ミズナラの実などが縄文の人たちの常食でありました。もちろん、魚や鯨、オットセイも沢山食べていたようでありますが、基本的にでんぷん質のものはミズナラです。栃の実はアクを抜くのが難しく、ドングリは沢山ありましたので、ドングリをベースに食べていました。栗の実は、甘いのでちょっと主食にはなれませんでした。

しかし、栗の木を一生懸命自分たちの生活に使っており、その栗の木を品種改良も含めてしっかりと管理し、5千年前の縄文の人たちは森林とともに生きていました。

  弥生時代になると、今度は稲作が進展して来ています。稲作は、単位面積あたりに非常にたくさんの人口を養える農業であります。しかも、水が大事な農業であります。

縄文から弥生に至ると使う木が違います。縄文は栗をベースに使っていましたが、弥生時代になるとスギなど針葉樹を使うようになり、文化が違ってきましたが、弥生時代になるとスギなどの針葉樹を使うようになり、文化が違ってきますが、農耕を取り入れることによって、水を大事にしなければなりません。

水と言えば、山から川に流れ、海に注ぎますから、山と川と海を大事にする、これが日本人の縄文さらに弥生のそのものの自然観であり、日本人は昔から森や川や海とともに、しかも農業というものを通じて生活をしてきました。

  しかし、ヨーロッパは違います。ヨーロッパは麦作と牧畜の文明で、麦というのは粗放な農業形態であります。牧畜は羊も牛も広い面積が必要です。従って森をことごとく切らなければ、麦作を広げることはできません。

ヨーロッパ文明というのは、自然を克服しようとする文明、ですから奴隷制などが伴います。農業が粗放でありますことから奴隷を沢山連れてきて粗放な農業に従事させる、しかも森林をどんどん伐採して家畜を放牧させる、これがヨーロッパ自然観であり農業であります。

  日本人は農耕をベースにして、水を非常に大事にします。水は山から流れ出て川に注ぎ、さらに海に行く、日本人はこのような農業をやってきました。日本人というのは、まさに森林の民であります。

しかし、ヨーロッパは、例えば砂漠に住んでいる人が、砂漠にポツンと一人取り残されたらどっちに行ったらよいのか常に問われている。リーダーがいなく、バラバラに行ってしまうとみんな死んでしまう。常にリーダーが必要であります。一神教、常に一人の神様がいないと困るわけであります。神様、リーダーが一人いて、リーダーの言うことを聞いて民族の命を賭けてその方向にいく、そうでないと民族が滅んでしまうのであります。

一方、日本人は近くに森があり、単位あたり収量の多い農業をやっていますから、そんなに強力なリーダーがいなくなくてもみんな仲良くしていれば何とか食べていける。日本人は森の民であります。

  世界が今、地球温暖化などで病んでいる。これは人間のさまざまな経済活動のなかでそうなっています。石油や石炭を掘り尽くして、大きな都会をつくって、CO2をまき散らしている。それは人間の技術で克服できる、「地球がダメになったら火星でも行こう」、「自然は我々で克服できる」というのがヨーロッパやアメリカの考え方であります。

日本人はそうではありません。自然とともにあること、これがこれからの我々の生き方である。このようなものの考え方が、これから世界にとって非常に大事になると思います。新しい森の時代、新しい森林の時代は、必ず見直されてくると確信しています。

森とともに生き、森に頼って生き、自然とともに生きてきたと言うのが、古い縄文の時代からずっと日本人がやってきたということを覚えておいていただきたいと思います。日本人は古代から森の民として生き続けてきました。木の家に住んで、木の道具を使って、木を燃料として、また肥料として使ってきました。もともと人間の身体の生理は、自然、とりわけ森林や木材と大変相性よくできています。

  今、木を山から肥料として取ってきていると話しましたが、余談になりますが、北朝鮮では松茸がたくさん採れ輸出しております。北朝鮮で何故たくさんの松茸が採れるのかというと、松茸というのは本州では基本的に赤松の下でよく採れるキノコであります。

その赤松という木はどのようなところに生えるかというと、三陸沖に松島という風光明媚な所がありますが、そこにはたくさんの島があり、島の上に木が生えています。それが赤松であります。非常にシビアな、非常に条件の厳しいところに生える木であります。

条件の良いところでは赤松が競争に負けてしまいます。生えることは生えますが自然の状態では条件の良いところに赤松の種が落ちると、赤松は負けて消滅してしまいます。普通の植物、他の植物が生えてこないような条件の厳しいところにしか赤松は生えません。山の尾根などに生えます。

松茸は、赤松の下を草や枝などをきれいに掃除したようにしないと生えてきません。赤松がたくさんあるということは、山が荒れている証拠であります。山を壊して、徹底的に色々なものを取った後にやっと赤松が生えてくる。しかも生えた赤松の下を木も枝も全部取って綺麗にしたら松茸が生えてくる。北朝鮮の山もおそらくそのような状態になっているので、松茸がたくさん生えてくると思います。

松茸は、菌根菌という菌です。木とキノコが共生する菌、木とともに生きる菌です。シイタケ、ボリボリは腐朽菌で、木を腐らせる菌であります。カラマツに生えている落葉キノコも菌根菌で、木の根とともにお互い栄養をやりとりして生えるのが、松茸であり落葉キノコであります。

シイタケ、ボリボリは木を腐らせる菌だから、簡単に餌さえ与えればおがらすことができ、栽培ができます。しかし、松茸と落葉キノコは菌根菌で、生えた根と生きた菌が栄養をやりとりして大きくなるため、これは栽培できません。松茸や落葉キノコの栽培を成功させればノーベル賞ものであります。そのくらい難しいことであります。

  落葉キノコを採ろうと思ったら大きなカラ松のところを見ても駄目なんです。これからどんどん成長するようなカラ松林を探さないと落葉キノコは採れません。菌根菌ですから、お互い成長を助け合っているのが落葉キノコであり松茸であります。

大きなカラ松の林でなく、成長しかかっている20年から30年ぐらいのところに出かけていって下を見ないと落葉キノコは採れません。林道沿いの根が張り出ているところに落葉キノコは出ます。

  我々は山から色々な恵みをもらっております。闇雲に行っても駄目、うまくポイントを見つけながら採りに行くことです。

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