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◎ 人の批判せず自ら行動の範を示せ



  阿吽(あうん)の呼吸という言葉をよく使いますよね。「あうん」は損得を考えた呼吸ではないといいます。理屈や説明をしなくても相手に真意が伝わる。相手を疑ったり、バカにしていては生まれないとも言います。
役所でも会社でも「阿吽の呼吸で仕事ができれば」、と思っている人が多いのではないでしょうか。


  中谷彰宏さんの「超管理職」の中に「会社の悪口」というのがある。会社を愛しているといいながら、お酒が入ると、会社の悪口をいい始める。会社の悪口を言って、部下とキズをなめ合って、被害者同盟を・・・・。上に対して文句を言うのはいい。しかし、上司に対して抵抗したり、議論をしたりせず・・・・・・・。このことに部下は幻滅を感じるのです。

  攻撃したり、批判することのほうが簡単ですが、志ネツトワーク代表・上甲晃さんは、その前に「自分を振り返れ」と警告しています。

中国の唐の時代、三日間耳が聞こえなくなり・目まで霞んだという歴史的大声の 「渇」 というのが言い伝えであるという。私も、人の批判をしたり悪口を言うことがあり、反省至極です。たまには自分にも 「渇」、言ってみましょうか。


  「もって範を示す」  志ネツトワーク代表  上甲 晃 さん


  「誰が悪い、彼が悪い」 という人は多い。その言葉を聞いていると、いかにも自分が正しいように思い込んでいる心が悲しい。「人のことをそんなに偉そうに批判できるほど、あなたは偉くないよ」 といってやりたくなる。

  私は、人の批判に舌鋒鋭い人には、「あなたが気づいているのなら、人のことをとやかく批判せずに、自ら行動を起こしたらどうか。もって範を示す、その心構えが必要だ」 ということにしている。人のことを批判するほど私は偉くないといった謙虚さと共に、もって範を示す姿勢は主体性のある生き方としてすばらしいと思うのだ。

  私も長い間サラリーマンをしてきて、人の批判をずいぶんしたもんだ。とりわけ上司の悪口や会社の批判を繰り返して、いかにも自分が全部正しいような気持ちになっていた。

通勤電車の中でも、一杯飲み屋でも、大きな声で人の悪口を言い続けている人は多い。それを聞いていて、なるほどすばらしいことを言うなと感心したことは一度もない。心の片隅で、「寂しい人達だな」といささか軽蔑をしている。


  人は、自分を棚に上げると、何でもいえる。それを「他人事」と言う。人生は「他人事」ではいけない。当事者でありながら他人事を言う人は、無責任のそしりを免れない。自分の人生の主人公は、自分自身。気が付いたら、自分から変わってみせることこそ、勇気ある生き方であり、主体性のある生き方でないだろうか。

  私は、若い人達と付き合うことが多い。その際、絶対に口にしない言葉は、「今時の若者は」といった言葉だ。「今時の若者は」と言った瞬間から、若い人達と私との心の絆はぷっつりと切れてしまう気がする。

「今時の若い人がだらしない」と思うのならば、せめて自分のできる範囲で、しっかりとした若い人を育てていこうと心を固め、努力することが、私にとっては主体的な生き方である。またそのようなに考えると、なぜか愚痴や批判の言葉が出なくなってしまう。

  私は、厳しく他人を批判している人には、「あなたがそこまで気が付いているのなら、せめてあなただけでも行動を起こしたらどうか」とアドバイスすることにしている。

私は、「せめて私1人ぐらいは」という言葉を若い人達には勧める。誰もやらないのなら、そのことを批判する前に、「せめて私ぐらいは」と思わなければならない。多くの人達は、「どうせ私一人ぐらい」、「しょせん私1人がやったところで」と投げやりな言い方をする。「どうせ」ではなく、「せめて」。それが主人公の始まりだ。


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