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◎笑顔と勇気を与えたマーシャル先生・帰国



 7月9日、オーストラリアからAET(英語指導助手)としてきているグレーグ・マーシャル先生の送別会が行われました。奥様と小学校2年と幼児の4人で来町していましたが、無事契約した3年間の仕事を終え近く帰国するのです。
 この日、3年間の思い出を文章にしたものが出席者に配布されました。
 とても考えさせられることがたくさんあります。
 皆様にも全文ご紹介いたしますので糧になればと思います。
 
 1.日本へ来た理由
 私が日本へくることを決めた理由は、私の家族に、多くの人々よりも人生に対する広い視野を持たせてあげたかったからです。他の文化の中で生活したり、新しい言葉を学ぶ機会はめったになく、価値があるもの 私にも小さいときにこのような経験があり、私の子供達にも同じ経験をさせたかったのです。
 私たちが日本を選んだ理由は、その文化の違いと安全性にあります。私は以前に北海道を訪れたことがあり、私がみた日本の他の地域よりもはるかに良かったので北海道を選びました。自然の美しさ、野外活動、広い土地柄、そして混雑の少なさはとても魅力的でした。
 私は大野について何も知りませんでしたが、ケン・ジョーンズさんからの手紙は、大野での新しい生活を決断するにあたり私たちをとても安心させてくれました。
 荷物をまとめ家族と出発したことはとても大きな一歩でしたが、私たちは後ずさりすることなどありませんでした。

 2.大野が好きな理由
   先ず第1に大野の人たち。
 一緒に働いた人たち、話した人たち、また教えたり一緒にスポーツをした人たちはとても素晴らしい人たちで親切で気の利く人たちばかりです。それを気に入らない人なんているのでしょうか?
 特に、いっしょに働いている教育委員会や大野中学校の人たちは皆、まさに素晴らしいの一言です。すべてのことがスムーズに進み、そんな町で働くことができた私はとても幸運だと思っています。他の独身のJETと比べ、家族連れであった私たちを受け入れることは家の準備や、学校の手続き、その他の問題に備えるため、普通よりも多くの手助けを必要としたことと思います。JETプログラムとしては少しまれなケースだったと思いますが、でも私は皆さんに、努力の甲斐があって、一家を受け入れたことから何か大きなものを得た、と感じることを願っています。
   第二に、その土地柄と生活環境。
 大野は小さい町という感があり、私はそれが好きなんですが、大きな町にも近いのです。つまり、必要なもの全て近くにあるということです。大きいスーパー、おいしいレストラン、いくつかのおいしいパン屋が大野と七飯にあり、また他の国の食べ物も近くで手に入るので、ここでは私たちでも普段の生活習慣に簡単に合わせることができて便利です。美しい自然環境と良い気候がこの土地柄に加わり、とても快適な生活環境を作っています。

 3.この町での経験
 私は初めての登校となった市渡小学校の水泳大会のときのことを決して忘れないでしょう。私は、初めて人に会うということにおいて、そのときほど自分がばかばかしく思えたときはないのではと思います。ホイッスルを手に持ち、”スピード”で身を固め水泳帽をかぶり、ゴーグルをして、良い印象を与えるために、ひどい日本語を使い大変な思いをしました。4種類の泳ぎ方を実演しなければならないときに、うまくできなかったのです。(もちろんオリンピック開催地のシドニー出身の人は、バタフライぐらいできてるのに・・・・・・)私がバタフライができないといったとき教頭先生は一番がっかりしていたようでした。そして子供たちの声援「大野へようこそ」に応えて何とかおぼれずにプールから出たのです。おかげでそのあと全てはそこからうまく進んでいく一方でした。
 大野での生活はシドニーとはかなり対照的なものになりました。私たちは、普段野菜はスーパーでしかみることができない都市部から来ましたが、ここでは、近所の樫田さんの手助けで、自家栽培のやり方を教えてもらい、食事のときに庭へ出て行って新鮮なトマトやレタス、なす、そしていろんな種類のハーブを自分たちで取って食べられるようになり、とても面白かったです。畑に囲まれ、米を作る作業前段階を見れることも私たちにとっては興味深く、郊外での生活を身を持って体験できました。
 シドニーでは、海辺に住んでいて、そこで多くの時間をすごします。ここでは、山に囲まれ、季節ごとにその色の変化をみることが出来ます。冬の白い色はもっとも印象的です。
 食事もだんだん変わっていきました。アジア料理は好きでしたが、ここにくる前はそれほど日本食を食べていたわけではありませんでした。富士通で働いていたとき何度か日本食を試していたので、家でそれを試して見ましたが、そんなに成功したことがありませんでした。最初は、代わりになるような食材を探し、オーストラリアの料理を作っていました。子供たちも日本料理を試すには抵抗があったようです。
 今では、自分たちで試したり、近所の人たちが親切に教えてくれたので自分たちで作れるようになりました。お好み焼き、ソーメン、巻き寿司、そして天ぷらは、私たちのお気に入りです。
 私は、小さな町の特徴でもある多くの祭りに参加し、楽しみました。それら多くは、季節の変わり目にあり、一年を通して似たような季節・気候が続くシドニーでは決して見られないものです。
 ここでの生活は、私の趣味であるスノーボードや写真を存分に楽しむ機会をたくさん与えてくれました。私たちは、できるだけ多くの時間を、出掛けたり、ハイキングにいったり、自転車に乗ったり、スキーをしたり温泉に行ったり、渡島中を回りました。
 主な経験をあげると
 ・ここに来てすぐ、子供たちと駒ケ岳に登った。素晴らしい大沼の景色。その次の週に駒ケ岳噴火
  ーそれ以来閉鎖。そのとき登れたのがとてもラッキー
 ・神戸への旅行。多くの人は姫路城へ行ったが、私はその代わりに六甲に登ることにした。まるで
  オーストラリアに戻った気分。ブルーマウンテンのコースを歩いたような感じだった。
 ・北桧山でのお祭り。町の中心街に山車を並べどのチームがもっとも太鼓や笛などでいい音を出し
  ているかを見た。
 ・夏、緑の生い茂った日高の山で、HAJET会議のあと散歩したり、サイクリングしたりした。
 ・恵山での夏祭り。私が今まで見た中でもっとも華やかな山車。アンと子供たちは町の大通りで山
  車を引っ張るのに挑戦。
 ・青森への日帰り旅行。十和田湖・奥入瀬側付近のハイキングや、岩木山のふもとにある素晴らし
  い寺への見学。弘前でりんご取りをしたり、函館へのフェリーに飛び乗り直前にねぶた博物館に
  立ち寄ったりした。
 ・旭岳で行われたHAJET会議のときには、北海道で一番高い山へ上る機会があった。何時間もか
  かって、結局頂上へ到達するには至らなかったが、下りは信じられないほど素晴らしかった。後
  に家族とそこへもう一度行き、クロスカントリースキーをし、景色を楽しんだ。輝かしい雪景色。
 ・大沼湖畔をサイクリング。ルークの小さな足が、先頭を行くためにピストンのように上下していた。
 ・そして、もちろんニセコ。ここでは多くの時間をすごすことができ、夢のようなコンディションでのボ
  ードを満喫。また、ここでは日本の素晴らしい温泉にとりつかれました。ボードで疲れた体を雪の
  ちらつく中、裸で外に座り、まるで天国のようでした。
 他にもまだまだあり、今まで撮った写真がいつまでも鮮明な記憶をよみがえらせます。

 4.家族はここでの生活をどう思っているのか。特にルークとジョーダナ
 彼らもすばらしいときを過ごしました。アンは、以前に一度しかオーストラリアを離れたことがありません。彼女は日本について学ぶと同様に、オーストラリアでの生活についてたくさん学べることがあることに気付くことができたようです。そうでなければ、すべてのことを当然と考えてしまっていたかもしれません。
 子供たちにとっては、特に良い経験になったと思います。ここにこなければできなかったようなたくさんのことをできるようになりました。日本語を話せるようになり(私よりもはるかに上手に)、雪遊びをし、浴衣を着て、お好み焼きを食べ、日本の子供たちと日本のゲームをして遊べるようになりました。また、それらの経験を通して、子供たちは世界中どこへ行っても同じということを学びました。まさにそれは国際化の基本だと思います。
 ジョーダナは一年以上学校へ通い、ルークはオーストラリアで過ごした時間より大野で過ごした時間が長くなりました。二人は今はそんな状況など深く気にせず、ただ日々を毎日過ごしています。が、しかし、私は彼らはきっと将来、ここでの年月を思い出し、「どれだけ他にはない貴重な子供時代をすごしていたんだ」なんて気付くと思います。

 5.オーストラリアへ戻った後、この経験をどう生かそうと思っているか。
 オーストラリアへ戻った後は、ここで学んだ日本語を生かそうと思っていましたが、私の日本語のレベルでは雇われて使えるほど十分なものではないので、勉強中ということでここから更に積み上げて行ければと思っています。シドニーにはいつも日本人観光客がたくさんいるようなので、日本語が使えるべきなのですが・・・・・。
 もちろん、どんな職につくかにもよりますが、次の上司が何もなしでたくさんの人の前に私を連れ出すことなど想像できません。なにがおきても、この仕事より楽しめる仕事は今後ないのではと思っています。

 6.大野の学校で子供たちを教えて学んだこと。
 「かんちょう」にはいつも気をつけてください。そのチャンスをいつも狙っています。
 でも、まじめな話し、先生たちは仕事に熱心で、オーストラリアでの先生と生徒の関係とはかなり違った関係があります。子供のしつけ・教育において、日本の先生たちはオーストラリアより大きな役割を持っているのでは、と思います。それは生徒が学校で過ごす時間の長さを考えると自然だと思いますが、でも先生たちはかなりの責任を背負っているようです。
 生徒たちは、年をとるに連れて、より問題を起こしたがらなくなるようです。小学生に英語を教えるのと、中学三年生とでは、かなり大きな違いがあります。小学校ではほとんどの子が答えを知りませんが、みんな答えたがります。中学校では、答えを知っていてもほとんどが答えたがりません。
 クラスのあり方や、集団での意思決定は見ていて面白いものでした。それぞれのクラスの反応の違いには驚かされます。クラスを一人に人の性格で表すことも可能です。
 二十人のちびっこ達が抱きつこうと私の周りに腕を上げてくる姿は、とても面白く特別なものです。


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