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◎上甲晃さんの「企業の目的は社会貢献」



  目的に向かって進む時は、すべてのことが一丸となるものです。戦後、日本復興の原動力となった自動車産業・家電産業・造船産業・・・・・・すべての歯車がかみ合い、経済を押し上げてきました。

  志ネットワーク・青年塾代表 上甲晃さんは、松下政経塾の塾頭・副塾長を歴任した方です。その上甲さんの勤めていた松下電器は模範となる鏡です。でも企業が大きくなりすぎて目が行き届かなくなり、きしみが生じることの懸念もあります。

  「経営理念」の大切さを上甲晃さんは説きます。支えているのは一人ひとりの社員の志。今一度初心に戻り、私たちのしている働きを考えてみることが必要ですね。


  志ネットワーク・青年塾代表 上甲晃さんの「企業の目的は社会貢献」

  「掃除道具を持参して お得意先を訪問する」

  お得意先に行くと、鞄の中からハタキを取り出して、陳列されている商品の埃(ほこり)を払う。それが営業マンの基本行動であった。そのために、「松下さんの営業マンはいつも大きな鞄を持ち歩き、服装も野暮ったい」と言われたものだ。掃除道具を持参し、お店の中を掃除していたら、スマートな格好などしておれない。

  お中元やお歳暮一つ届ける時でも、相手に送りつけるようなことはしなかった。一軒一軒、自ら足を運び、日ごろのご愛顧に深く感謝して手渡しする。それが当然のことであったのだ。効率を考えれば、「宅急便で送ったほうが、手間が省ける」ところである。

しかし、「お得意先第一の精神」を強く求められるから、自分が楽をすることなど考えもしなかった。私達は、「お得意先さまに喜ばれる」ことだけを考えて仕事に打ち込んできたのである。また、ベテランの営業マンともなると、会社からのお中元に、自分の気持ちも沿えるために、自腹を切ってもう一つの贈り物を持参したりもした。

  面白い話を聞いたことがある。ある営業所の担当者が、休日に所長の自宅を訪問した。ところが、所長は自宅にいない。奥さんは、「近くのバス停にいませんでしたか?」と言う。そこでバス停に戻ってみると、所長は、雑巾片手に、バスが来るたびに、その車体に取り付けられたナショナルの商品看板を拭いていた。

「せっかく高いお金を出した広告だ。汚れていてお客様が見にくいようでは申し訳ない」と所長は、言い放ったそうだ。こんなエピソードが、社内には当たり前のように転がっていた。

  「何のための会社か 何のための仕事か」

  「何のために」という一番根本の動機、すなわち精神が、行動を決める。「自分の儲けのために」と考えるならば、人のことなど構ってはおれない。それに対して、「お客様のために」と考えるならば、お客様にどうして喜んでいただけるかを考えて行動する。同じように営業活動のためにお得意先を訪問しても、その根本の動機が違うと、すべての行動が変わってくる。

  最近、日本の企業は、「精神が地に落ちたり」という感がしてならない。自分の利益のためには、手段を選ばない経営が横行しすぎている。例えば、産地偽装などといった事件は、「社会のお役に立ち、お客に喜ばれる仕事をしたい」と強く願う精神風土の定着している会社では絶対に起きないことだ。

  今、大事なことは、目先の利益を追うことではない。また、手法やテクニックもしょせんは、表面の問題だ。あらゆる活動の根っこ、根幹、それに当たる根本精神が腐っていると、活動もまたすべて腐ったものになる。根本改革とは、「何のために」という一番根っこに立ち返り、すべてを見直すことである。


  「相手を良くする努力が 自分をよくする」

  最近、私は若い人達に強調することがある。「自分を良くしたいと思ったら、周りを良くする努力が一番だ」。お得意先を喜ばせたい、お客様に満足していただきたい、世の中の役に立ちたい、そんな思いをもって努力すればするほど、一番良くなるのは自分自身であり、一番成長するのは自分自身である。だから、「社会のお役に立ち、お客様に本当に喜ばれる会社になりたい」との精神を掲げ、その実現に向けて懸命の努力をしている会社は、入社しただけでも、社員の人間性が高められる。

  高邁(こうまい)なる精神。それが私の願いである。古来、日本人には、庶民に至るまで、高邁なる精神があったはずだ。その高邁な精神が、経済成長と共にどこかに置き忘れられてしまったようである。今こそ、経済の立て直しよりも、精神を立て直すべき時だ。

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