日本初の一体型の気象観測システムWeatherBucket「ウェザーバケット」
 畑から学ぶ


(株)エスイーシーでは、「一次産業のIT化に貢献する」ことを旗印に掲げ、北海道の地場産業をIT技術で応援するための取り組みを行っております。ウェザーバケットは、その第一弾となる商品で、"情報付圃場の実現”しかも研究機関レベルではなく、民間レベルで利用可能な圃場情報を一般ユーザに提供することを目的に開発・販売しております。そのような背景から生まれた「くわトール倶楽部」は、メーカサイドの立場から離れ、実際に情報を受け取るユーザサイドの立場に立って、「畑で作業する人にとって、本当に欲しい情報とは何か?」を見つけるための活動を行っております。農業について右も左も判らない素人集団ではありますが、素人だからこそ、畑で実感し学べることも多いと思います。
ここでは、私たちが畑で感じたこと、気づいたこと、教えられたことを、実体験を通してお伝えしたいと思います。


柳原

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2007.9.6  "0"から"1"へ

私事で恐縮ですが、今年から釣りを始めました。北海道は本当に自然に恵まれており、近くの海でいろいろな魚が釣れます。釣れる魚のほとんどは食べることが出来、今年は菜園の野菜と一緒に何度か食卓に登場しました。
畑で収穫した野菜4〜5種類と、釣れた魚2〜3種類、結構なバリエーションになります。しかし、野菜も魚もわずかな量ですから、我が家の食料自給率は、せいぜい1パーセントにも及びません。
でも、0%だった時に比べて、わずか1%であっても自給できるようになると大きな変化が生まれます。
菜園で野菜を作る前は、野菜は買うもの。魚も同じようにお金を出して買うものでした。
この価値観、行動パターンは40年間同じであったものが、最近は、本当にわずかですが、買うだけではなく、獲るという選択肢が生まれました。
今まで、スーパーに行って、まず、夕飯のメニューを考え、それにあわせて食材を調達していたのに対して、最近は手に入った食材にあわせてメニューを考えるようになりました。同じ種類の魚であっても、獲れた数や大きさによって出来る料理の種類が異なります。
今まで当たり前と感じていた平凡な世界が、驚きや喜び、ときに失望と様々な感情をもたらしてくれるようになりました。

0%は、何をやっても、常にゼロですが、1%なら、ちょっとした努力や工夫で、すぐに2%や3%に増やすことが可能です。時にゼロに戻ることもありますが、これは何もしない時のゼロとは意味が違います。

今年やれなかったことでも、「来年はこうしてみよう、ああしてみよう」と新たな楽しみが生まれます。自然相手で、結果が思い通りにならなくても、「やりたいこと」や「やってみたいこと」があれば、結果を受け入れて、次にチャレンジしていくことができます。

“0”を“1”に変えるわずかな変化で、「食育」や「環境」などの難しいテーマが、ごく普通の当たり前の生活に飛び込んでくる感動は、私の中で大きな変化と収穫をもたらしてくれました。

子供の頃、当たり前のように、どこの家の裏庭にも小さな畑があった日本の原風景の意味と価値を、ようやく知ることができました。


(柳原)



2007.5.15  先祖代々の土地(農地)を守るという意味と意義

いよいよ今年も私たちの菜園がオープンの日を迎えました(冬季間は閉鎖です)。毎年4月20日ごろにオープンします。いつも喜び勇んで、4月下旬に植え付けをするのですが、GW前後に気温が下がり、植えた苗が全滅することも多いので、今年は慎重に作業開始日を選びました(さすがに今年は、少し遅いですね)。
毎年、最初の日は畑を耕すことから始めるのですが、この時思うことがあります。
時々ですが、私たちの菜園から、ガラスの破片や割れた陶器などが出てくることがあります。もともと、この場所は農地でなく、空港関連の土地を造成して市民菜園にしているためなのか、耕していると稀に、生活ごみが出てきたりします。

このことで私たちの畑が悪いのだとは思いません。どこかから土を持ってきた時、その場所の土にたくさんの生活ゴミが含まれている。これは紛れもない現実なのだと思います。
これだけ身の回りにゴミが溢れ、それらが埋め立て処理、もしくは焼却処理されたり、又は心無い人によって不法に廃棄されたりしたゴミの一部が残留し、それが周辺の土に紛れ込み・・
おそらく、今の日本で、ゴミを含まない土や大地は我々の予想以上に少なくなりつつあるのではないかと思います。

それでも、目に見えるゴミは取り除くことが可能です。
しかし、もし、これが目に見えない有害物質だとしたらどうなるのでしょう?
例えば、300年後の未来に、私達のように趣味で農業をやる人たちの土地に有害物質が眠っているようなことは起きえないこと(考えすぎ)でしょうか?
例えば、過去に公害問題が発生した工場跡地などの有害な化学物質に汚染された土地や、地下深くに埋められた様々な廃棄物の上にできた土地など、目に見えないモノの上に知らずに農地が形成され、あるいは、そのような場所から運び込まれた土で出来た菜園。
そこで何も知らずに農作物が育てられたとしたら・・

歴史ある農業という産業を未来永劫にわたって継続し、守り続けていくために、その大前提ともいえる「安全な農地」。それを先祖代々にわたって守り抜くこと。何百年経っても、その場所は農地以外には使用せずに守っていくこと。
そんな努力を積み重ねても、それでも降り注ぐ雨や流入する水、飛散する化学物質や薬品などに影響され、どんなに守ろうとしても、徐々に失われていくであろう安全な大地。

農業を営むということは、単に土地があればできるというのではないのですね。
空いている土地に、土を運び込んで、種や苗を植えれば、作物が収穫できますが、本質はそれほど単純ではなく、その土地全体(地下深くまで)が健全であること。それを先祖代々にわって守り続けている農家の方々の苦労に頭が下がり、心から敬意を表したいと思います。
先祖の土地を守り抜き、それを財産として次の世代に伝えていくことに責任を果たしている人達に感謝し、少しでもお役に立ちたい。そんなことを深く考えさせられる、今年の菜園オープンでした。


(柳原)



2007.3.22  顔が見える消費者?(顔を見せたい消費者)

数年前から、生産物の安心・安全を訴えるために“顔の見える生産者”、“顔の見える製品”と言うキーワードが普及してきています。
最近はスーパーへ行くと、様々な商品に生産者の顔写真や産地情報が表示されるようになりました。IT業界でもトレーサビリティシステムの技術開発が進んでいます。
「自分の生産物に責任を持つ」大変有意義な取り組みですが、生産者だけに品質保証の課題をつきつけるだけで本質的な問題解決になるでしょうか?本来であれば、生産者と消費者、その両方に背負うべき課題があると私は考えます。

現在、スーパーに並ぶ加工品の原材料のほとんどが外国産。
もちろん、加工して販売しているのは国内の優秀な企業なのですが・・

決して外国産が良いとか悪いとか言うのではありません。私が感じるのは、やはり「ものづくり」をする際、例えば、食べ物を作る時は、それを食べる人のことをどれだけ考えるか、イメージするか、それが生産者の責任感や、やる気に直結するのだと思います。
つまり、安心・安全のためのひとつのキーアイテムは消費者の顔がちゃんと見えること。

外国産と国産、同じ国産でも産地直送販売や対面販売など、生産者にとって、どれだけ強く消費者を意識しリアルにイメージできるか?それが、より良い商品を産み出し、責任とやる気をもって生産活動を続けていく原動力になると信じています。

・生産者の顔を見せる前に
・産地の情報を公開する前に

もう一度、消費者の顔が、きちんと見える社会を作っていけたらと思います。
そのためにも、産地と消費地、生産者と消費者がどれだけ互いに興味を持てるか、相手のことを慮って(おもんばかって)尊重しあえるか。
そのひとつの手段として、苦労を分かち合うことが大切だと思います。そのための情報技術をなんとしても確立したいと願う今日この頃です。

ウェザーバケットが提供する産地の気象情報・・あまりにも小さな一歩ですね。まだまだ遠い道のりです。

(柳原)



2006.10.10  生産者と消費者を結ぶ“IT(情報技術)”のあり方

現在、私たちウェザーバケットチームは社外パートナー様と一緒に、IT(情報技術)を応用して農業生産者と消費者を結びつけるための各種取り組みに挑戦しています。

一般的にこのような取り組みを掲げた場合、最初の課題は、農業生産者からの発信情報を消費者にアピールすることがテーマになりますが、実はこの取り組みの本当の夢(力)はその先にあります。
つまり、消費者の情報(反応・感想)を農業生産者にフィードバックさせることです。
真のトレーサビリティシステムの目的もここにあると思います。

通常、農産物は、農家の方々が丹精をこめて生産し、それが流通経路に乗り、スーパーや小売店、飲食店を通して消費者に届きます(農産物に限らずですが)。

例えば、とあるレストランで、とても美味しい料理を頂いた後、私達は、その店のシェフや従業員の方に「美味しい」「満足」「感謝」を伝えます。
この消費者の様々な感謝の念は、当然、素材を提供した生産者まで伝達されるべきであると思います。しかし、現実は、消費者に直結している店舗止まりです。
このような反応を直接確かめたいために農家の方々の産直も盛んになりつつあります。

トレーサビリティシステムの真の目的は「安心・安全」ではありません。
本来、生産のプロ、流通のプロの目利きにかなった商品に対して消費者が情報を得て、判断する必要はないはずです(そのために、消費者は流通業者に対価を上乗せして支払っているはずですから)。
生産及び流通過程にインチキが存在するとしたら、それはITでインチキを監視して解決すべきではなく、道徳やモラルといった面で長き時間の中で自然淘汰されるべきですよね?
(こんな悠長なことは言ってられない現実かも知れませんが・・)

では、なぜ、生産者と消費者を直結させるのか?
それはやはり消費者の反応を生産者に正しくフィードバックし、厳しい環境下で必死にがんばる人達に心から感謝を伝え、それを明日のやる気と情熱につなげるためだと私は思います。

例えば、農家の方が、1日の作業を終え、自宅に帰ると1通のメッセージが届きます。
「本日、あなたの商品を食べたのは120名のお客様です。平均的な満足度はxx点でした。もっとも反響が大きかったのは、yyレストランです。30名のお客様が大変満足されたそうです。お客様のご希望により、とっておきの喜ぶ写真を転送します・・」

「本日、あなたの商品が提供されたxxレストランにおいて、ビジネス商談件数はyy件です。zz組のカップルがデートで利用しました。みなさん、とても幸せそうな顔をしていましたよ。」

「お客様から質問が届いています。来月出荷予定のトマトの生育状況についての質問ですので、農業日誌から回答を自動生成して送信しておきます。」etc・・

自分が苦労した製品・商品が、どこでどう役立っているのか?
畑の真ん中から都会のビジネスシーンを大きく支え、人々に喜びを提供している事実と感動を生産者に戻す。

正確なトレーサビリティシステムが完成し、生産現場から消費現場まで情報のルートが確立すれば、同時にその逆も可能になる。
その際に、情報発信量は、対象者数に比例しますので、当然、戻りの情報量が多くなるはず。

そして、本当に努力した人にたくさんの感謝の気持ちが届く・・
毎日、毎日、感謝が届く。
そんな社会を実現したい。

ウェザーバケット事業を展開するパートナーの皆様と美味しい食事と楽しい会話をしながら、こんな事を考えました。


(柳原)



2006.10.6  ライバルは 「テーブル胡椒」

農業生産情報を消費者にアピールする絶好の場と言えば、やはり生産物を頂く現場、レストラン等の飲食店において、実際に食べて頂く際に、ちょっとしたアクセントとして、素材に関する産地情報をお届けできればと思います。

例えば、新しい品種のじゃがいもを紹介する際、じゃがいも自体の話だけではなく、そこから発展して、有名な産地や農法、そして農家の方々の面白いコメント等・・

頭では判っているつもりでも、実際に食べながら、話を聞くとより理解が深まり、愛着が湧くとともに感謝の気持ちが自然に溢れてくるかと思います。

現在、各種ソムリエの方々の活動や飲食店の従業員の方々の努力のお陰で、様々な情報を食の現場で得ることができるようになりました。
そうした話を聞きながら、その土地の名産品を食べることができるのは何よりも幸せで至福な時でもあります。

今はまだ、情報を伝えていくには人の力に頼らざるを得ません。しかし、近い将来、テーブル胡椒のように、パパパッとふりかけるだけで、その人好みのアクセントとして生産情報が得られるような、そんな情報の提供が出来たら楽しいと思います。

テーブルの片隅に置いてある小瓶を振ると、そこから農業生産者の情熱と思いが溢れてくるような、そんな情報発信が可能になればいいと願います。

もちろん、その小瓶の形は、ちっちゃなウェザーバケットでありますように・・・


(柳原)



2006.8.31  「理解すること」 VS 「感じること」

ウェザーバケットの開発を通して、思うことは、まだまだ解らないことがたくさんあるなぁということ。
頭で解っていることはたくさんありますよね?

例えば「気温26度」。
「今度、北海道に行くんだけど、今の北海道って、どんな感じ」
「うーん、気温はだいたい26度前後、昼はちょっと暑いけど、朝晩は涼しいよ」

こんな会話がなされても、結局、何も判らない、伝わらない・・
遠く離れた友人同士の話としては良いのだけれど、生活がかかっている一次産業の人達にとって、この情報が持つ価値はいくばくのものか?

理解しようとしても、理解できないこと。
理解した“振り”をしてしまうこと。
たくさんあります。

そんな時、私は迷わずフィールドに出ます。
野外で作業していると、頭で理解する前に体で感じることがたくさんあることに気づきます。
寒い冬に、わずかに射した日の光がどれだけ暖かいものであるか。
暑い夏の日に汗まみれの体にどれだけ風が心地よいか。
炎天下と言えども雲があると、わずか数秒の間にどれだけ日射が変化するか・・
それらはすべて心地よく、人が自然に生かされていると感じる瞬間です。

温度も湿度も日射も雨量も気圧も風も・・・
ものすごくアナログ的であるけれど五感が感じ取る感覚にデジタルセンサは叶わない・・
冷房の効いたオフィスで、収集したデータをグラフで眺めていても、畑の環境変化は予想もつかない。
なぜ、今年の収量は減ったのか?
なぜ、今年は病気が増えたのか?
なぜ、なぜ・・・

これらの疑問の答えを探すには、研究成果を追い求めて、頭で理解するか、もしくは現場に出て己の体で感じ取るか。
デジタルとアナログ、ハイテクとローテク。
いずれの手段が一方のみ正しいのではなく、両方の利点を組み合わせて、新しい可能性を切り開く。
そのためには両者を橋渡しするキーアイテムが必要。
それを求めてウェザーバケットを開発しました。
しかし、理想への到達はまだまだです。

どんなに技術が進歩しても、どれだけ科学が進化しても、そしてどれだけ人類が賢くなったとしても、それでも自然は理解できない(のかも)?
ただ「感じる」感性を磨くことが自然と向き合い、共生していくための入り口であり唯一の手段。
だからこそ、「感じる」感性を備えた人に、あとに続く人のために理解できるツールを残して欲しいと願います。
そこに眠るウェザーバケットの可能性を信じながら・・

(柳原)



2006.8.28  ハイテクとローテクの間にて

 ゴォォォォッ・・・・

私たちの頭上すれすれをジェットエンジンの唸りが、大気を切り裂くように響き、悠々と舞い降りてくる銀色の塊。
手を伸ばせば、すぐにでも届きそうな高さを、着陸間際のジャンボジェット機が通過していく。
農作業の手を一瞬止めて、真上を見上げながら最新技術の粋を集めた機体に魅入られる。

私たちが借りている市民農園は函館空港の滑走路のすぐ隣にあります。

毎日決まった時刻になると西の空から飛行機が降りてきて、私たちの頭上を通過したら、わずか数秒後には着陸します。

おそらく、すべての課題を解決するための最新技術が満杯に詰め込まれているであろうその機体は、姿形すべてが、自信に満ち溢れている。

空間そのものを支配する圧倒的な迫力で、最新鋭のハイテクジャンボジェット機が飛び交うその真下で、私は、手で草むしりをして、虫に刺され、土にまみれながら、自分自身がローテクの塊であることを実感させられる。

様々なハイテクを駆使し、安全な航路と移動手段を確保・提供してくれるジェット機のすぐ真下には、どんなに人類が進歩しても、まったく制御不能な、お天道様次第の農業を営む人たちがいる。

ローテクだからこそ、人として必要な何かを実感させてくれる。
もし、これがハイテクの塊となり、すべての条件を人が制御するようになった時、人はそれを農業と呼ぶのだろうか?
不便だからこそ、大切な何かがある。
思い通りにならないからこそ価値がある。

飛行機が通過した後、畑の片隅に設置されたウェザーバケットを眺めながら、我々が目指すべき商品開発の道について深く考えさせられました。

人の生活を便利で豊かにする機械が必要な一方、自然との調和を図り共生の道を探るための道しるべを提供してくれる製品。
私達のウェザーバケットがそんな役割を果たす日が来ることを願いながら・・

(柳原)



2006.7.10  ビニールという便利な素材

最近、市民菜園に通っていて、特に気になるのは、ビニールやペットボトル等のプラスチック素材が大量に利用されていることです。

これらは使用後、どこへ行ってしまうのでしょうか?

土にまみれているためプラスチックごみとしてのリサイクルは不可能でしょう。
おそらく可燃ごみ、もしくは燃えないごみとして大量廃棄されることと思われます。

確かに菜園では、鳥除けや低温対策、風対策、水やりの手間軽減、それ以外にも成長する植物を支えるためにも、たくさんのプラスチック製品が応用され使われます。
価格も安く、入手が簡単で見栄えも良く、かつアイディア溢れる利用方法は、楽しくもあります。
しかし、本当にこれで良いのでしょうか?
かと言って、藁やおがくず、竹などの自然素材の調達は、容易でなく、生活の周りに溢れているプラスチックの方が何倍も入手が簡単です。

農作業の魅力の一つが自然と共生することでありながら、
最も自然と調和しない素材を大量に利用すること。

問題提起することは簡単ですが、解決策となると難しいものです。

この問題は、私たちのウェザーバケットにも同じことが言えます。
ウェザーバケットの筐体は特殊樹脂で成型されており、かつ、塗装処理を施しているため、おそらく数百年後も同じ形状であると思います。

野外に設置する気象観測計器は、自然との闘い。
自然環境化で劣化しない素材を選べば、それは自然との競争につながり、どんどん自然との調和から外れていきます。

私たちは日夜、厳しい自然環境下における腐食に悩まされながら、なんとか自然に調和できる商品を開発していきたいと願っています。

何年先になるかわかりませんが、
完全に土に帰るウェザーバケットが作れないか?

畑に溢れるプラスチックの数々を眺めながら、強く願うのでした。

(柳原)



2006.6.26  雑草について

今年は道内全域、日照不足が続いており、私達の畑も成育がイマイチです。
そんな中、今年特に目に付くのは、とても雑草が多いことです。
毎年雑草は生えてくるのですが、今年は畑一面に広がっている感じがします。
いったいどこから種が飛んできたのでしょう?

それだけ、土地改良が進んでいるのかもしれませんが、考えてみれば最初の年は、あまり雑草が生えませんでした。
土自体の質も悪かったようで、あれは一体どんな土だったのだろうか?
農業に携わると土や気候といった自然そのものに対する興味や理解が重要であることを改めて感じさせられます。
先日、畑の草取りをしていて思ったのですが、苦労して植えた野菜はなかなか芽が出なかったり、生育が悪かったりしますが、雑草の生命力はすごいものがあります。
そんな時、もし、人間が野菜ではなく、雑草を食べることが出来たら、こんなに楽なことは無いのに・・と思います。
春の山菜や、七草粥など、日本には野草を食べる素晴らしい食文化と知恵があります。
過去の偉人達の知恵にすがるだけではなく、21世紀の日本の食文化として、雑草を利用する新しい知恵が生み出されたら面白いですね。

今年の野菜達は、雑草との競争に打ち勝ち、いつもの年より少し野性味のある、おいしい野菜ができることを楽しみに半年間、がんばりたいと思います。

(柳原)



2005.9.12  採れすぎた野菜

今年、最初に苗を植えたのは5月の連休前後です。その直後に、しばらく気温の低い日が続き、残念ながらこの時期の苗は、ほとんど枯れてしまいました。
しかし、種から植えた作物は、なんとか生長し無事最初の収穫を迎えることが出来ました。この頃、倶楽部のメンバは、一度駄目だとあきらめていたものが思わぬ収穫につながり、それは、それは貴重な野菜を手に喜んだものでした。
ところが、2回目に同じ場所に同じ作物を植えたところ、今度は、とても天候に恵まれ予想以上の収穫につながりました。
なんの苦労もなく、前より立派な野菜が採れたにも関わらず、なぜか倶楽部員達に前回ほどの喜びが感じられません。私自身も最初の収穫に比べて、なんだか有難さが欠けていました。収穫した野菜の中には、持ち帰る人がいなかったため、会社の机上に放置され、気付いた時には捨てられるものも出てきました。そんな野菜を見て、なんとも言えない淋しさを覚えつつ、ふと考えました。

「私は、立派な野菜が欲しければ、スーパーや道路沿いの直売所にて数百円で必要な野菜を必要な分だけ買うことができる。」
当然、自分達の野菜は、味も見栄えも敵わない。
唯一の優位点と言えば、自分達で苦労して作ったということ。しかし、それも天候に恵まれて、さほど苦労しないのに、それなりの量が採れてしまうと、なんだか嬉しさや大切さが半減するのはなぜだろう?

生産者(苦労・努力)と消費者(利便性)間の価値観のミスマッチ・・

今まで採れ過ぎた野菜を廃棄するニュースを見た時、「大変だろうな」「もったいないな」と思いながら、どこか遠い世界で起きているニュースのような非現実的な思いでいました。
天気に恵まれず不作の年があったかと思えば、天候が良すぎて採れすぎた野菜を廃棄することもある。
その都度、失っているのは、単に農作物や損害金額だけなのだろうか?
もっと大切な何かを失っていってしまっているのではないか?

農業という仕事自体が“お天道様”次第であること。
どんなに努力を積み重ねても、天候次第で結果が大きく変動すること。
そうであるならば、気象データを蓄積し予測することで、新しい一次産業のあり方が見つかるのではないか?
そう信じてウェザーバケットの開発をしてきましたが、実際に目の前に立ちはだかる現実はもっと切実なものでした。
取れすぎて廃棄される野菜は、その陰にある努力も一緒に廃棄してしまうのか・・

生産者の立場の時、一生懸命苦労すること、努力することを大切にしていながら、いざ消費者の立場に回ると、どうしても便利であること、綺麗であること、出来がよいことに価値観がすり替わる。

生産者と消費者、その両方の立場に立った時、如何に自分が勝手で矛盾した価値観を持っているかを知りました。

農業をやっている人達の日々の苦労や喜びは、勝手な消費者の偏った価値観や経済社会における利便性・利益の追求により、なんと簡単に片付けられてしまうのか・・

“農業をやる”この仕事の裏にある隠れた苦労や努力に対して、きちんと対価を支払い、そしてそれ以上の敬意を払い、自国の産業・文化として大切にしていきたい。

私達は来年に向けて、ウェザーバケットの気象データと予測機能を使って、もう少し近代的な農業を実践したいと考えています。
それは、農作物の収穫量を大きく左右する気象データを、数値化して情報として確立すること。

少なくとも自分達の菜園で採れた野菜を無駄にすることがないように・・そう祈りながら。
(柳原)



2005.8.4  流通業者の力

最近、「地産地消」というキーワードが強く謳われておりますが、実際に農業体験を行うまで、私たちの視野は常に農業生産者に向いておりました。
つまり、市場を占める農産物(野菜・果物等)は農家の皆さんの苦労の結晶であるという単純な理解しかありませんでした。


私たちが畑に種(苗)を植える時、その選択要素は「自分達の食べたい野菜」、「自分達で作れそうな野菜」です。
当然、うまく出来る保証はありませんし、実際の収穫量も、まったく予想がつかない状態です。
しかし、こんな私たちでも、畑を耕し、種を撒き、草取りをし、肥料をやり・・・としているうちに、それなりに収穫を迎えることができました。

最初の収穫は、本当にわずかばかりのものでした。しかし、収穫量は非常にわずかでも自分達が作った貴重な野菜ですから、ちゃんとした料理にして食べたいと思うわけです。
当然、このわずかな量では、目的の料理の材料は揃いません。
そうなると当たり前のようにスーパーに残りの材料を買いに行くわけですが、ここでふと思いました。



「農産物の収穫量・収穫時期は、天候次第で大きく変動するのに、
なぜいつも当たり前のようにスーパーには食材が豊富に並んでいるのか?」


普段、当たり前のように買い物をしていますが、これってすごいことですよね?

例えば、カレーが食べたいので肉以外の野菜をすべて自分で作ることを考えてみてください。とりあえず、“じゃがいも”と“にんじん”と“たまねぎ”を作るとします。
当然、それぞれの野菜は、作り方も生育期間も異なるわけですから、同じ頃に収穫できるよう種まき(苗植え)の時期を調整します(保存可能なものは収穫後の保存手段を考えます)。しかし、生育速度は、天候次第です。たくさん採れる野菜もあれば、少ししか採れない野菜もあります。
最終的に出来上がるカレーの量は、もっとも少ない野菜の量に依存するわけですから、たくさん採れた野菜は、余ってしまうわけですね。
逆に、じゃがいもがまったく採れなかった場合は、じゃがいもの入っていないカレーを食べることになります。

この生産量のばらつきが多くなればなるほど、生産調整は難しくなります。
どんなに生産者が優れた経験と営農技術を持っていても、この天候次第で左右される要素を誰が補ってきるのか?
過去の経験から来る要素をもとに将来を予測する流通業の方々の苦労とノウハウ。
これにより我々消費者は、必要なものを必要なだけ買うことが出来ているという、本当に単純なことに気づきました。


そもそもウェザーバケットが提供する情報とは、リアルタイムな圃場の気象情報です。
それ単独では美味しいカレーを作る役には立ちません。しかし、生産者の方々、流通業者の方々、販売業者の方々、そして消費者まで、すべての人がこの情報を共有し、それぞれの経験やノウハウを提供しあい、生産量に合わせて生産活動から消費活動までひとつのリングのようにつなぐことが出来たら・・・
きっとすべての人の苦労が少しは軽減され、そして地球環境に優しい循環型システムが構築できるのではないかと思います。
(ここに私たち、IT企業の技術を結集すべきテーマがあると思います)


ほんのわずかに収穫できた野菜を見ながら、こんなことを考えました。

(柳原)


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