| 回数 | 開場時刻 | 開始時刻 | 終了時刻 |
|---|---|---|---|
| 1 | 10:10 | 10:30 | 12:06 |
| 2 | 13:40 | 14:00 | 15:36 |
| 3 | 18:10 | 18:30 | 20:06 |
知っていますか?日本で野球が禁じられていた時代があったことを。太平洋戦争真っ只中の1943年、「野球は敵国アメリカのスポーツだから」と、東京六大学リーグが中止され、更に戦争の激化に伴い、それまで猶予されていた学生に対する徴兵も開始される。青春の日々を奪われた彼らは、バットを捨て、銃をとることになったのだ。
そんな中、学生たちの徴兵検査のわずか9日前にあたる10月16日、早稲田大学戸塚球場で早慶戦が行われた。『ラストゲーム 最後の早慶戦』は、幾多の困難を乗り越えて、歴史に残る試合を実現した男たちの、実話から生まれた感動作である。
青い空の下、グラウンドで無心に白球を追いかける若者たち。1943年、太平洋戦争が野球に夢をかける彼ら大学生の青春の日々を奪おうとしていた。敵国アメリカのスポーツとして六大学野球が廃止、更に学生に対する徴兵の猶予も停止されることになり、彼らはバットを捨て銃を取らねばならなくなったのだ。
しかし、早稲田大学野球部顧問の飛田穂州は、出陣その日まで学生たちと野球を続けると誓う。野手の戸田順治は、厳格な父から「この非常時に」となじられたが、お前は野球をやれ」という言葉を胸に同じく黒川哲巳と共に練習に励む。《試合がしたい》選手たちの願いはそれだけだった。
ある日、慶應義塾塾長の小泉信三が、飛田に“早慶戦”を申し込む。二度と帰れないかもしれない若者たちに生きた証し残してやりたい。小泉の切なる願いを飛田も喜んで受け止めるが、早稲田学長の田中穂積は、頑として拒絶する。それでも諦めず練習を続ける選手や家族の姿に心打たれた飛田は、自らの進退を掛け強行突破で、ついに早慶戦は幕を開ける。それは別れであると同時に、明日への希望に満ちたゲームだった…。